石見清裕
石見 清裕(いわみ きよひろ、1951年(昭和26年)[4][5] - )は、日本の東洋史学者。早稲田大学教育・総合科学学術院名誉教授[2]。専門は隋唐史[6]。学位は、博士(文学)(早稲田大学)[7]。 略歴1951年、東京都杉並区生まれ[8]。1977年早稲田大学商学部を卒業後[4]、早稲田大学第二文学部東洋文化専攻の3年次に学士入学し[9]、1979年卒業[4][2]。1981年、早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了[4]、1984年、早稲田大学大学院文学研究科東洋史学専攻博士後期課程単位取得退学[4][8]。1996年、「唐の北方問題と国際秩序」で早稲田大学博士(文学)[4][7]。主査は古賀登、副査は藤家禮之助、福井重雅、村山吉廣が務めた[1]。1986年から1988年まで早稲田大学東洋史学助手[10]。1988年から2002年まで早稲田大学文学部非常勤講師[2]。2002年から2004年まで早稲田大学教育学部助教授[11][12]。2004年9月より早稲田大学が学術院制度を導入したことに伴い[13]、2007年まで早稲田大学教育・総合科学学術院助教授[12]。2007年からは同学術院教授[12]。 また、1989年から教育総合研究所兼任研究員、2016年から中央ユーラシア歴史文化研究所研究所員となっている[2]。2013年から2015年までは唐代史研究会の会長を務めていた[14][15]。なお、2007年以降は早稲田大学大学院文学研究科でも研究指導を担当しており[16]、同研究科や早稲田大学文学部での講義も行っている[2]。 研究分野当初は、中国史上初の統一された長期安定政権である漢の研究を行う心づもりであった[17]。これは、漢の民族複合と国際関係のあり方が現在に至るまでの中国の原型となっていると考えたためである[17]。当時の学界は漢と周辺諸民族の関係を同心円的な冊封体制によって見ており、このシステムが清まで連綿と続いていくとしていた[17]。しかし、石見は冊封体制論を清代まで適用することに疑問を覚え、漢代以降にいかなる変容が起きたのかを追う必要性を提示した[17]。そのため、漢の滅亡後に再び統一的な長期安定政権を樹立した唐に目を向け、隋唐史を主な研究対象とした[17]。 著作学位論文
著書
編著
論文
出典
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