石井紘基刺殺事件
石井紘基刺殺事件(いしいこうきしさつじけん)とは右翼団体幹部が民主党所属の衆議院議員・石井紘基を2002年10月に殺害した事件。 概要2002年10月25日午前10時半、民主党の衆議院議員・石井紘基が、世田谷区の自宅駐車場において柳刃包丁で左胸を刺され死亡した。 翌10月26日、右翼団体『守皇塾』代表の伊藤白水[注 1]が警察に出頭し逮捕される。伊藤は「生活に困窮し家賃の工面を断られたため、仕返しでやった」と供述したが、恨みを抱くに至った理由としては強引で、石井が国会議員や官僚の腐敗を徹底追及していたことから「暗殺された」との見方もある[1][2][3][4]。10月28日に予定されていた国会質問を前に、石井は「これで与党の連中がひっくり返る」と発言したという事実などが挙げられている[3]。 なお、伊藤については事件当日の午前11時過ぎには既に永田町の政治記者の間で被疑者として名前があがっていたという[5]。 2004年6月18日、東京地裁で無期懲役の判決が言い渡され、判決では被告が主張する「金銭トラブル」という動機を信用することができないとした[6]。2005年11月15日、最高裁で無期懲役の判決が確定した[7]。なお、公判では伊藤は一貫して事件の犯人は自分1人の単独犯であり、金銭苦による犯行であるという主張を変えなかった。 事件当日、石井の鞄には国会質問のために国会へ提出する書類が入っていたが、事件現場の鞄からは書類がなくなっており、いまだに発見されていない[8]。国会では審議されない、一般会計の4倍相当の金額を有する特別会計について、質問予定だったとされている。 石井議員の左の中指は切断されていたことが明らかになっており、2010年10月に放映されたテレビ朝日の番組「報道発 ドキュメンタリ宣言」で、法医学者の上野正彦は、指は外側から切断されており、カバンを握った手が邪魔だったために指を切断したのではないかと推察を述べた。 また、この番組内で、服役中の伊藤は、テレビ朝日に向けた手紙内で「当方の事件は、いろいろと政治の裏側で動く金と人脈が関係しており-」と明かしており、面会時のインタビューに対しても「でたらめを言わざるをえなかった」「本当の事を言えば頼んだ人が誰かを言わなくてはいけなくなる」「殺害を頼まれた」「それを言えばその人の顔に泥を塗る事になる」と答えたと報道された。 日本国憲法下において他殺された現職国会議員は、浅沼稲次郎、丹羽兵助、11代目山村新治郎に続いて石井が4人目である。 石井の選出選挙区であった東京都第6区では2003年4月27日に補欠選挙が行われ、参議院議員より転出した民主党公認の小宮山洋子が当選した。 なお、2003年2月に石井の遺族らが事件の真相を求めてウェブサイト(#外部リンク)を開設し、懸賞金を付けて情報提供を求めている[9]。 脚注注釈出典
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