生麦
生麦(なまむぎ)は、神奈川県横浜市鶴見区の地名。現行行政地名は生麦一丁目から生麦五丁目。住居表示実施済み区域[5]。1980年(昭和55年)7月28日に廃止された生麦町(なまむぎちょう)[6]についてもこの項で述べる。 文久2年8月21日に生麦村を通行していた薩摩藩国父である島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人を薩摩藩士が殺傷(無礼討ち)する事件が発生し(生麦事件)、この事件を発端に薩英戦争と呼ばれる薩摩藩とイギリスとの戦争が勃発した[7]。 地理北西で岸谷四丁目、北で鶴見一丁目、北東で鶴見中央五丁目、鶴見川を跨いで東で下野谷町・小野町・末広町、南で大黒町、南西で守屋町、西で神奈川区子安通・子安台一丁目と隣接する。京急本線の花月総持寺駅・生麦駅及びJR東日本鶴見線・国道駅があり、旧東海道および国道15号線(第一京浜)が通過する。1862年9月14日(文久2年8月21日)に起こった生麦事件が有名で、生麦駅近くに事件の石碑が残っている。汎称地名として、1980年(昭和55年)まで存在した生麦町の町域全体を指して呼ぶ場合がある。この場合は生麦のほか岸谷、鶴見、鶴見中央の一部も含まれる。生麦二丁目は全域が工業専用地域に指定されているため住居はない。 面積面積は以下の通りである[2]。
地価住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、生麦4-23-8の地点で27万円/m²となっている[8]。 歴史地名の由来江戸幕府二代将軍・徳川秀忠の行列がこの地を通る際、道に水が溜まっており、通行ができなかった。そこで、村の人たちが、街道の脇の生麦を刈り取り道に敷き、その上を行列に通らせた。秀忠は感謝として、この一帯に生麦という地名を与え、村人に漁業を営むに関して特別な権利を与えた。 沿革古来は武蔵国橘樹郡貴志(岸)村と称した[9]。江戸時代に生麦村に改称。「御菜八ヶ浦」の一つとされ、漁業が盛んであった。
住居表示実施後は、生麦一丁目 - 五丁目を指して「生麦」と呼ぶことが多い。 世帯数と人口2024年(令和6年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)[23]。
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[24]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
施設
その他日本郵便警察町内の警察の管轄区域は以下の通りである[28]。
脚注
参考文献
関連項目
※下野谷町とは河川上の一点で接している。 |