牢州(ろうしゅう)は、中国にかつて存在した州。唐代から北宋初年にかけて、現在の広西チワン族自治区玉林市一帯に設置された。
概要
619年(武徳2年)、唐により漢の牂牁郡の土地に義州が置かれた。622年(武徳5年)、義州は智州と改称された。637年(貞観11年)、智州は牢州と改称された。742年(天宝元年)、牢州は定川郡と改称された。758年(乾元元年)、定川郡は牢州の称にもどされた。牢州は嶺南道の容管十州に属し、南流・定川・宕川の3県を管轄した[1]。
972年(開宝5年)、北宋により牢州は廃止された。定川・宕川の2県は廃止され、南流県に併合された。南流県は鬱林州に移管された[2]。
脚注
- ^ 『旧唐書』地理志四
- ^ 『宋会要輯稿』方域七