瀬名信輝
瀬名 信輝(せな のぶてる)は、戦国時代の武将。今川氏の一族である。 経歴天文13年(1544年)、瀬名貞綱の長男として生まれる。瀬名氏は今川氏の支族であり、また信輝の生母は今川氏親の娘であるため、信輝は今川氏真の従兄にあたる。今川義元や氏真に仕えたが、今川・武田間が手切となり、永禄11年(1568年)12月に甲斐武田氏による今川領国への侵攻が行われると(駿河侵攻)、瀬名氏は朝比奈信置や葛山氏元らとともに武田方に内応した。その功績により、武田信玄(晴信)から「信」の1字を賜り、名を氏詮から信輝と改名している。 元亀3年(1572年)9月を最後にして記録上では名前が確認されないため、この前後に没したものと思われる。 系譜『寛政重修諸家譜』巻九十五「瀬名」には氏明(うじあきら)で記せられており、別名として氏詮(同じく「うじあきら」または「うじのり」)を載せる。父の名は氏俊(貞綱の別名とみる説もある)。同書では永禄11年(1568年)没落の際に氏明も流浪し、元和2年4月10日(1616年5月25日)に没したとしており(この没年月日は子と記される瀬名政勝と4日違い)、法名浄庵を掲げる。生年・享年は記されていない。系譜に4男5女を掲げ、江戸幕府に仕えた瀬名政勝、女(与良与兵衛某妻)、別家を立てた今川貞国、修験者となり京都勝仙院に住した恵光、某(小源)、女(葛山八郎某室)、女(大屋与兵衛某室)、女(神部吉右衛門某室)、女(小沢太郎兵衛某室)とある。 関連作品 |