品川範増
品川 範増(しながわ のります)は、江戸時代の高家旗本。1歳で家督を継承するが2歳で夭折したため、高家品川家は一時断絶した。 生涯正徳2年(1712年)、品川伊氏の三男として生まれる[1]。『寛政重修諸家譜』に母は「某氏」とあり、側室の子である[1]。 伊氏には長男範高、次男範主がいたが、宗家である今川家に養子として送り出しており[1]、品川家自体の継嗣はそれまでいない状態であった。 範増が生まれたこの年9月22日、伊氏は44歳で没した[1]。12月27日、わずか1歳の範増は家督相続が認められ、寄合に所属した[1]。 翌正徳3年(1713年)4月1日、品川家の人々は範増の名で、伊氏の遺品である信国の脇差を将軍家に献上している[1]。しかし、6月19日に範増も2歳で死去した[1]。 当然嗣子はいなかったため、品川家は一旦断絶した[1]。 その後範増の死去から1か月後の正徳3年(1713年)7月9日、品川家は松平重治[注釈 1]の弟の信方(品川伊氏の弟で、範増の叔父にあたる)によって再興された[1]。ただし元の1千5百石ではなく、3百石とされた[1]。 脚注注釈
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