澤田亜紀
澤田 亜紀(さわだ あき、ラテン文字:Aki Sawada, 1988年10月7日[2] - )は、日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。2005年ISUジュニアグランプリファイナル2位。2007年四大陸フィギュアスケート選手権4位。 人物関西大学文学部身体運動文化専修を卒業[3]。一人っ子[4]。 趣味は読書と韓国語学習、特技は短距離走[5]。一番大切にしている言葉は「不撓不屈」[6]。 力強いジャンプが持ち味で、5種類の3回転ジャンプを跳ぶことができる[7]。ジュニア時代には難度の高い3回転フリップ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを跳んでいた。2001-2002シーズンからは3回転アクセルにも取り組んだ[2][8]。 経歴5歳のころ、醍醐スケートリンクのスケート教室広告を見た母に連れられてリンクに立ち、6歳から濱田美栄のもとでスケートを習い始める[9]。1998年から野辺山合宿に参加し[4]、2001年に全日本ノービス選手権Aクラスで優勝。 2003-2004シーズンからISUジュニアグランプリ (JGP) に参戦。JGPSBC杯では3位に入り、安藤美姫、浅田舞とともに日本人選手で表彰台を独占した。全日本ジュニア選手権は3度目の出場で初めて表彰台に上がる3位。全日本選手権では9位となり、最高位の初出場者に与えられる新人賞を受賞した[10]。世界ジュニア選手権では初出場ながら5位入賞。 2004-2005シーズンは全日本ジュニア選手権3位、JGPファイナル初進出、全日本選手権4位と好成績を残す。2005-2006シーズン、JGPSBC杯でジュニアグランプリ初優勝。2季連続進出のJGPファイナルでは金妍兒に次ぐ2位となる。全日本ジュニア選手権では初優勝を飾った。 2006-2007シーズンよりシニアクラスに移行。全国高等学校スケート競技選手権2連覇を達成し、初出場の四大陸選手権では日本人選手トップの4位に入った。2007-2008シーズンは体型変化の影響でジャンプが安定せず、競技会で跳ぶ3回転ジャンプをサルコウ、トウループだけにとどめた[7][11]。エリック・ボンパール杯では11位とふるわず、NHK杯は体調不良のため欠場。第76回全日本選手権では9位に沈んだ。2008年4月から長光歌子、本田武史らにコーチを変更し[11]、再起を図ったが、目立った成績は残せず、2011年1月に引退した。 主な戦績
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脚注
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