溝手顕正
溝手 顕正(みぞて けんせい、1942年〈昭和17年〉9月13日[1] - 2023年〈令和5年〉4月14日)は、日本の実業家、政治家。従三位。自由民主党所属の元参議院議員(5期)。 国家公安委員会委員長(第74代)、内閣府特命担当大臣(防災)、自由民主党参議院議員会長(第28代)、自由民主党参議院幹事長、参議院予算委員長・議院運営委員長・国家基本政策委員長・総務委員長・懲罰委員長・政府開発援助等に関する特別委員長、自由民主党広島県支部連合会会長[2]を歴任した。 来歴生い立ち広島県広島市南区皆実町生まれ。その後は安芸郡や父方の郷里の賀茂郡原村(現東広島市八本松町原)を経て、日本通運に勤めていた父親の転勤に伴い三原市に転居した。 学生時代広島大学附属三原中学校から広島大学附属高等学校に進み、サッカー部に所属して同級の船本幸路、小城得達、桑原楽之らとともに全国高等学校サッカー選手権大会準優勝。東京大学運動会アメリカンフットボール部ではキャプテンを務めた[3]。1966年、東京大学法学部卒業[1]。 実業界富士製鐵(現・日本製鉄)に入社[1]。配属は、広畑製鉄所。1971年3月、新日本製鐵を退社。妻である美重子の父親が経営している幸陽船渠に副社長として迎えられ、1979年より代表取締役社長を務める。この間、日本造船工業会常任理事や三原商工会議所副会頭を務めた。 三原市長1987年、地元商業界の後押しを受け、三原市長選挙に立候補し、初当選。1991年に再選され、2期6年務める。この間、全国市長会評議員や広島市長会副会長を務めた。 参議院議員1993年12月、藤田雄山の広島県知事選挙立候補に伴う参議院広島県選挙区補欠選挙に自由民主党公認で立候補し、初当選した。1997年9月、通商産業政務次官[1]。2004年、参議院議院運営委員長に就任。 2006年9月20日に行われた自民党総裁選挙で安倍晋三の推薦人に名を連ねた。同年9月26日、第1次安倍内閣が発足。国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(防災)に任命され、副大臣や大臣政務官を経ずに初入閣した。在任中は数回にわたる失言や大臣規範違反が発覚した。 2007年7月の第21回参議院議員通常選挙では、広島県選挙区から自民党公認で立候補し、4選。選挙戦中に発生した新潟県中越沖地震に際しては、広島県での選挙運動を中止し、政府調査団長に就任して被災地を視察に訪れた。同年8月27日に発足した第1次安倍改造内閣では再任されなかった。 同年12月、日朝国交正常化を目指す議員連盟「自由民主党朝鮮半島問題小委員会」の立ち上げに参加し、副委員長に就任した。2008年に参議院予算委員長、2009年に参議院国家基本政策委員長をそれぞれ務めている。 2011年9月、自由民主党参議院議員会長の中曽根弘文は、参議院自民党の執行部人事において、当初は参院幹事長の小坂憲次、参議院政策審議会長の山本一太の両名を再任する意向だったが、2009年の第45回衆議院議員総選挙で落選し、2010年に参院に鞍替えしたばかりの小坂や、同じ群馬県選出の山本の続投に、町村・額賀・古賀3派からは批判が高まり、中曽根は一旦参院幹事長を鴻池祥肇に交代させる人事案を議員総会に提出するも、否決される。これを受け、中曽根は古賀派の溝手を参院幹事長に、町村派の岩城光英を政策審議会長に起用する新たな人事案を提出して承認され、溝手が自民党参議院幹事長に就任した。 2013年、5期目の当選を果たす。同年7月26日、中曽根の任期満了に伴う参院議員会長選挙に町村・額賀・古賀3派の後押しを受ける形で立候補し[4]、82票を獲得。31票を獲得した鴻池祥肇を破り、自由民主党参院議員会長に選出された(2016年に更迭[5])[6]。 2014年9月9日、参議院執行部会において、参議院幹事長の脇雅史から一票の格差を是正するための選挙制度改革に対する後ろ向きな姿勢を批判され、参院議員会長を辞任するよう求められる[7] が、溝手は辞任に応じず、12日の特別総会で脇を参院幹事長から更迭した[8]。選挙制度改革については新党改革の荒井広幸代表が事実上提案していた4つの選挙区を2つ合区して2つの合同選挙区を創設する公職選挙法改正案を受け入れる政治的決断をし[9]、2015年7月28日に法案が国会で成立した。 2019年参議院議員選挙→詳細は「河井夫妻選挙違反事件」を参照
6期目へ向けて溝手の自民党公認は早くに決定していた。ところが2018年暮れ、安倍首相や菅義偉官房長官らの意向を酌んだ党本部は、党広島県連に対し2人目を擁立することを打診。県連からは「組織が分裂しかねない」と一斉に反発があがった。県連は党本部に方針を撤回するよう繰り返し求めたが[10]、2019年3月13日、自民党は、河井克行衆議院議員の妻で広島県議会議員の河井案里を正式に2人目の公認候補に決定した[11]。 2019年4月から6月にかけて、自民党本部は河井案里が支部長を務める「広島県参議院選挙区第七支部」に対し7,500万円、河井克行が支部長を務める「広島県第三選挙区支部」に対し7,500万円、あわせて1億5千万円もの破格の選挙資金を支給した[12]。これに対し溝手への支給額は1,500万円であった。
河井陣営の物量戦の前には歯が立たず、同年7月21日に行われた第25回参議院議員通常選挙では次点で落選した[13]。溝手は落選直後、支援者に「2人出すのは、やはりばかげた話。今後、自民党として考えなくてはいけない」と述べた[14]。 また溝手顕正側から公示前月、奥原信也側に50万円が振り込まれていたことが2020年11月11日に判明した[15]。溝手の秘書によると、2019年6月3日に溝手が代表の「自民党広島県参議院選挙区第2支部」から奥原の後援会長が代表の「自民党呉第1支部」の口座に50万円を送金したが、「選挙応援を依頼する目的ではない」と述べている[15]。 落選後2019年11月、旭日大綬章を受章した[16][17]が、「別の用事がある」として親授式を欠席した[18]。 前述の買収事件を契機に三原市長の天満祥典が辞任すると、同市長選挙に立候補を表明した岡田吉弘への支持を表明、8月9日の投開票の結果、岡田は当選した[19]。なお、翌2021年2月に脳梗塞を発症し[20]広島市内の病院で入院・療養に入ったため、これが生前最期の政治活動となった。 2023年4月14日、老衰のため死去した[21][22]。80歳没。従三位に叙された[23]。 人物家族は妻、1男、1女[1]。信条は人間万事塞翁が馬[1][3]。趣味は読書、料理[1][3]。現住所は広島県三原市本町3丁目[24]。 経歴
政策内政
外交・安保経済・財政部落問題
発言
不祥事大臣規範違反第1次安倍内閣で国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(防災)を務めていた2007年、無届けで社会福祉法人理事長を務めて報酬を受け取っており、国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範違反の疑いがもたれた[35]。その後、溝手は受け取っていた報酬を2007年7月3日までに社会福祉法人に返金したが、閣僚辞任や議員辞職については否定した。 所属団体・議員連盟支援団体
選挙歴
脚注
外部リンク
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