清水 一学(しみず いちがく)もしくは清水一角[1]は、元禄時代の武士。忠臣蔵(史実では赤穂事件)における赤穂浪士討ち入りの際に討ち死にしている。諱は義久としているものが多い[2]。江戸時代の歌舞伎では同時代の実在の人物の名称を使うことが禁じられていたため「清水大学」[3]と表現される事もある。
清水一学の役職は文献により異なる:
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『上杉家文書』より
「米沢塩井家覚書」
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『江赤見聞記』[4]
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『吉良本所屋敷検使一件』 [5]
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『吉良家分限帳』[6]
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役職
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近習
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上野介用人
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中小姓
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隠居付近習七両三人扶持
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死んだ場所
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台所口
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台所口
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台所
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享年
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40
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上杉家の資料である[1]『大熊弥一右衛門見聞書』(『大河原文書』に収録[7])によると、吉良とともに小屋の中にいた3人の一人である(他の二人は須藤与一右衛門、鳥居利右衛門)[8]。3人のうち一人を堀部安兵衛と矢田五郎右衛門が討ち止め[8]、もう一人を間十次郎が槍で突いた[8]。最後の一人については諸記録に記載がない[8]。
二刀流の達人だったが[1]、史料には「少々戦い討死」(『大熊弥一右衛門見聞書』)[1][6]とあるのみである。
清水の二刀流は伝説化され、「両刀を揮っての奮戦はかつての新国劇の殺陣の見せ場だった」[1]。
親族・後嗣
一学の兄の藤兵衛は旧姓の児玉姓に復し、その子孫が今日まで続いている[要出典]。
演じた俳優
関連書籍
注釈・出典
出典
関連項目