河渡宿河渡宿(ごうどじゅく)は、中山道54番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国方県郡河渡村(現・岐阜県岐阜市)に存在した。 加納宿から河渡宿へは長良川を渡る必要があったため、1881年(明治14年)に河渡橋が架けられるまでは「河渡の渡し」を利用していた。 河渡宿は、長良川右岸堤下から東町、中町、西町の三町で構成されるが、全長は三町(330m)という短さである。「本陣は水谷治兵衛、問屋は久衛門、庄屋は水谷徳兵衛が務めていた」と徳川幕府太平の記録にある。 概略史跡・みどころ
美江寺宿までの史跡・みどころ
隣の宿関連項目座標: 北緯35度24分29.0秒 東経136度42分00.0秒 / 北緯35.408056度 東経136.700000度 |