中山道六十九次(なかせんどう-ろくじゅうきゅうつぎ)は、日本の近世にあたる江戸時代に栄えた五街道の一つ中山道に設けられた、69を数える宿場の総称。
中山道は、江戸・日本橋と京・三条大橋の間を結ぶ主要街道2路のうちの、山地側の1路である。
もう1路である東海道とは、江戸側は同じ日本橋から発するが、山手と海沿いに分かれて西進し、近江国に入って草津宿で合流。そこからは京までの区間を共有する。
また、江戸・日本橋から発する甲州街道とは、その終点である信濃国の下諏訪宿で合流する。
中山道六十九次は天保6- 8年(1835-1837年)頃、浮世絵師・渓斎英泉および歌川広重により、名所絵(浮世絵風景画)『木曽海道六十九次』として描かれている[1] 。
木曽十一宿
以下の11個の宿は木曽十一宿と呼ばれる[2]。
六十九次の一覧
宿場については板橋宿を 1、大津宿を69とする通し番号[3] を付してある。
注釈
- ^ a b c 江戸時代初期に大久保長安によって整備された当初の初期中山道では、下諏訪宿から塩尻宿 - 洗馬宿 - 本山宿を通らず、下諏訪宿から小野峠 - 小野宿 - 牛首峠 - 桜沢(塩尻市贄沢)を通って贄川宿を結ぶ最短経路であった[4]。
脚注
- ^ 『木曽街道六十九次』は「木曾街道」(木曾道中、岐阻街道、木曾海道などとも)と銘打っているが、主として描かれているのは木曽街道を脇往還とする中山道である。
- ^ “木曽11宿を訪ねる”. 木曽路観光情報. 2024年7月15日閲覧。
- ^ 名所絵では起点と終点も数に入れるため、表記上の数がずれる。
- ^ “初期中山道ウォーキング”. 塩嶺王城観光開発協議会、商工会議所中山道交流事業. 2023年5月4日閲覧。
関連項目
外部リンク