河原町 (川崎市)
河原町(かわらまち)は、神奈川県川崎市幸区の町名。丁目の設定がない単独町名。住居表示は未実施[6]。面積は16.4 ha[3]。 地理川崎駅の北方1kmあたり、多摩川のほど近くに位置する[7]。町域はほぼ全体が県営・市営・住宅供給公社の河原町団地によって占められており、また南端には貨物線跡地を転用した「さいわい緑道」が通っている[8]。 河原町は北端で遠藤町と、東端で国道409号を挟んで戸手と、南端で幸町・中幸町と、西端で神明町と接する。これらの町域はすべて幸区に属しており、河原町は区境・市境には接していない。 歴史→「戸手 § 歴史」も参照
当地は明治以前にはほとんどが沼地であったが[7]、1918年(大正7年)には日東製鋼の工場が設置され、5年後には同工場を東京製綱が買収した[9]。買収当時には敷地内も沼地だらけであったというが、関東大震災で東京・横浜の工場が壊滅したため、当地に工場を集約して生産を開始した[9]。 東京製綱の工場は1945年(昭和20年)の川崎大空襲で90%が破壊される被害を受けた[10]ものの、戦後は復興を果たしたが、1969年(昭和44年)に茨城県へと移転していった[11]。 工場跡地には最高14階建て、市営1,598戸、県営1,300戸、市住宅供給公社253戸、県住宅供給公社440戸と、あわせて3,591戸という河原町団地が作られた[1][12]。区域内には川崎市立河原町小学校も開校し、1977年(昭和52年)9月には児童数1,906人を記録した[13]が、1986年(昭和61年)時点ですでに住民の高齢化が指摘されており[14]、2007年(平成19年)には河原町の高齢化率が27.0%と、幸区全体より8ポイントも高くなっている[15]。河原町小学校は2006年に閉校となり[1][16]、跡地は特別養護老人ホームやデイサービスセンターなどへの転用がなされる計画である[17]。 なお、当地の南端を、川崎河岸駅への貨物線が通っており、砂利の採取や東京製綱の輸送に使われていたが、1970年(昭和45年)に廃止となり、跡地はさいわい緑道となっている[8]。 地名の由来沿革→「戸手 § 沿革」も参照
世帯数と人口2024年(令和6年)9月30日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区前述のように、当地にはかつて川崎市立河原町小学校が所在した。
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[29]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
交通鉄道当地にはかつて川崎河岸駅への貨物線が通っていたが、廃止され現存しない。 路線バス東急バス・川崎市交通局の2事業者が、川崎駅と五反田駅や上平間・武蔵小杉駅を結ぶバスを、当地を経由して運行しているほか、川崎市バスは川崎駅から当地を経由して川崎駅へと戻る循環バスも運行している。 道路施設
その他日本郵便警察町内の警察の管轄区域は以下の通りである[32]。
関連項目脚注注釈出典
参考文献・資料
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