河南町 (宮城県)
河南町(かなんちょう)は、平成17年(2005年)まで宮城県桃生郡にあった町。現在は石巻市の一部。 地理隣接していた自治体歴史沿革
河南の由来「河南」は北上川を境界として南北を区別する仙台藩政期以来の広域呼称による[4]。 5村合併について1953年(昭和28年)に町村合併促進法が公布されるに伴い、当初より、鹿又村、前谷地村、北村、広渕村、須江村の5村が合併することで調整が進められていた[2]。しかし、鹿又村が北上川んはさむ町村(大谷地村や二俣村など)との合併案を出したり、前谷地村が箆岳村と合併する案が出されたり、広渕村が旧深山村への復活を望んだりするなど簡単に5村での合併が決定したわけではなかった[2]。ところが国の指導方針もあり、協議を長引かせるわけにもできないということもあり、五か村合併促進協議会委員は各村から村長を始めとして、七人ずつが選ばれて協議した結果、1955年3月21日に河南町として合併することが決定した[2]。なお、新町名案は河南町以外に、深谷町、末広町、黄金町、旭山町、小金江町、北上町、末前町、瑞穂町、華南町、川南町などがあった[2]。役場新庁舎は、投票の結果、佳景山付近というのが多数で、次いで前谷地、広渕の順であり、当分の仮庁舎を広渕と定めた[2]。1962年には町役場の位置を前谷地字黒沢七番地とすることが議決され、2年後に鉄筋コンクリート、二階建て庁舎が完成した[3]。 行政歴代町長は以下の通りである[5]。
経済産業
地域2004年8月31日当時の世帯数は5,069世帯であった。 教育小学校
中学校
高等学校交通鉄道道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事出身有名人脚注
参考文献
関連項目 |