河南町 (宮城県)

かなんちょう
河南町
前谷地駅前(河南町)
前谷地駅前(河南町)
河南町旗
河南町章
昭和36年(1961年)4月制定[1]
廃止日 2005年4月1日
廃止理由 新設合併
河南町、石巻市、雄勝町牡鹿町河北町北上町桃生町石巻市
現在の自治体 石巻市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
桃生郡
市町村コード 04564-1
面積 69.33 km2
総人口 17,796
推計人口、2005年3月1日)
隣接自治体 石巻市
桃生郡河北町桃生町矢本町
遠田郡南郷町涌谷町
町の木 マツ
町の花 サクラ
他のシンボル シラサギ
河南町役場
所在地 987-1101
宮城県桃生郡河南町前谷地字黒沢前7番地
座標 北緯38度30分34秒 東経141度11分37秒 / 北緯38.50936度 東経141.19367度 / 38.50936; 141.19367 (河南町)座標: 北緯38度30分34秒 東経141度11分37秒 / 北緯38.50936度 東経141.19367度 / 38.50936; 141.19367 (河南町)
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河南町(かなんちょう)は、平成17年(2005年)まで宮城県桃生郡にあった町。現在は石巻市の一部。

地理

隣接していた自治体

歴史

沿革

河南の由来

「河南」は北上川を境界として南北を区別する仙台藩政期以来の広域呼称による[4]

5村合併について

1953年(昭和28年)に町村合併促進法が公布されるに伴い、当初より、鹿又村、前谷地村、北村、広渕村、須江村の5村が合併することで調整が進められていた[2]。しかし、鹿又村が北上川んはさむ町村(大谷地村二俣村など)との合併案を出したり、前谷地村が箆岳村と合併する案が出されたり、広渕村が旧深山村への復活を望んだりするなど簡単に5村での合併が決定したわけではなかった[2]。ところが国の指導方針もあり、協議を長引かせるわけにもできないということもあり、五か村合併促進協議会委員は各村から村長を始めとして、七人ずつが選ばれて協議した結果、1955年3月21日に河南町として合併することが決定した[2]。なお、新町名案は河南町以外に、深谷町、末広町、黄金町、旭山町、小金江町、北上町、末前町、瑞穂町、華南町、川南町などがあった[2]。役場新庁舎は、投票の結果、佳景山付近というのが多数で、次いで前谷地、広渕の順であり、当分の仮庁舎を広渕と定めた[2]1962年には町役場の位置を前谷地字黒沢七番地とすることが議決され、2年後に鉄筋コンクリート、二階建て庁舎が完成した[3]

行政

歴代町長は以下の通りである[5]

氏名 就任 退任 備考
1 池田文治郎 1955年(昭和30年)4月30日 1971年(昭和46年)4月29日 元前谷地村長
2 木村栄夫 1971年(昭和46年)4月30日 1971年(昭和46年)9月20日
3 今野亮雄 1971年(昭和46年)10月6日 1975年(昭和50年)10月5日
4 木村栄夫 1975年(昭和50年)10月6日 1983年(昭和58年)10月5日 再任
5 池田敬 1983年(昭和58年)10月6日 1995年(平成7年)10月5日
6 木村昇 1995年(平成7年)10月6日 1998年(平成10年)4月21日
7 橋浦清元 1998年(平成10年)4月26日 2005年(平成17年)3月31日

経済

産業

地域

2004年8月31日当時の世帯数は5,069世帯であった。

教育

小学校

  • 河南町立前谷地小学校
  • 河南町立和渕小学校
  • 河南町立鹿又小学校
  • 河南町立須江小学校
  • 河南町立広渕小学校
  • 河南町立北村小学校

中学校

高等学校

交通

鉄道

道路

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

出身有名人

脚注

  1. ^ 石巻地域合併協議会 慣行の取扱いについて
  2. ^ a b c d e f 河南町史上巻 2005, p. 390.
  3. ^ a b 河南町史上巻 2005, p. 391.
  4. ^ 角川日本地名大辞典 4 宮城県』平成3年9月1日角川書店発行 842頁-845頁。ISBN 4040010302
  5. ^ 河南町史下巻 2005, p. 551.

参考文献

  • 河南町史編纂委員会 編『河南町史上巻』宮城県河南町、2005年3月1日。 
  • 河南町史編纂委員会 編『河南町史下巻』宮城県河南町、2005年3月1日。 

関連項目