沖宿町(おきじゅくまち)は、茨城県土浦市の町名。五中地区(上大津地区)に属する。郵便番号は300-0023[2]。町界町名整理事業および住居表示整備事業は未実施である[4]。
地理
土浦市の東部に位置する。南を霞ヶ浦に接しており、東をかすみがうら市に接している。
歴史
年表
- 江戸時代以前は新治郡沖宿村であった。中世、ここは荘園であり、大津郷南野荘に属していた。
- 江戸時代は常に土浦城主の所領となる。(土浦藩領)
- 1888年(明治22年) - 田村、手野村、白鳥村、菅谷村、神立村と合併し、上大津村が成立。上大津村大字沖宿となる。[5]
- 1954年(昭和29年) - 上大津村は土浦市に編入合併、土浦市沖宿町となる。[6]
- 1970年(昭和40年代)ごろから、国の減反政策などの影響を受けて、稲作が行われていた田で、新たに蓮根栽培が始まった。沖宿や近隣の田村、手野などで、蓮根栽培が盛んに行われるようになり、土浦市は日本一の蓮根の産地となった。
- 1990年(平成2年) - 当町の北部台地で、ニュータウン開発が始まる。
- 1998年(平成10年) - ニュータウン開発は進み、当町の一部から新しい町名「おおつ野」が誕生し町域の一部が分離。
- 2005年(平成17年)4月 - 町内に、霞ヶ浦の水質浄化を目的とした、研究施設の茨城県霞ヶ浦環境科学センターが開設される[7]。
ゆかりのある人物
- 安村江痴
- 江戸時代から明治時代の当町の人物。土浦藩医であった。晩年は当町に診療所を開設。墓所は市指定史跡[8]。
- 小田治朝
- 常陸小田氏9代当主、当町に菩提寺の海蔵寺を建立したと伝わる。墓所も当町にあり、市指定史跡である。
民話
当町内の鹿島神社に、源義経が兄頼朝に鎌倉を追われ、奥州へ下る際に匿ってもらったお礼として、青葉の笛を奉納したという伝説がある。
世帯数と人口
2022年(令和4年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]。
施設
交通
道路
寺社・文化財
主な町内の寺社
文化財
- 大般若波羅密多経(県指定・海蔵寺所蔵)[10]
- 木造阿弥陀如来坐像(県指定・海蔵寺所蔵)
- 小田治朝の墓(市指定)
- 安村江痴の墓(市指定)
脚注