民衆党 (韓国 1990-1992)
民衆党(みんしゅうとう)は、第六共和国時の韓国における革新政党である。 概要労働者・農民・都市住民・中小商人・自営業者や在野の民主化運動家の人たちが中心となって民衆自身の政治勢力化を図り、「民衆のための政治の具現」「民衆の利益の実現」「韓国での政党的な歴史変革追求」を目的に、1990年11月10日(法的登録日は同年11月19日)に発足した。民衆党は自らの立場を既存の政党とはっきり区別するためにスローガンに「民衆政党」を掲げ、制度政治圏への進出を試みた。こうして、それまでは議論の段階に留まっていた合法政党としての民衆政党を結成するための活動が以下の日程で具体的に進められた。
が順次結成され、民衆党創党に至った。 創党翌年の1991年6月20日に実施された広域自治体議会議員選挙[1]で民衆党は42名の候補者を擁立したが、当選者は1名のみに留まった。1992年3月の第14代総選挙では51名の候補者を擁立するも、出馬した選挙区の平均得票率は6.5%に留まり、当選者を出すことは出来なかった。また同年12月に行なわれた第14代大統領選挙では白基琓(ペク・キワン)を在野勢力の一部とともに支援したが、1%程度の支持を得るのに留まった。既存の政治勢力が幅を利かせている制度政治圏への進出の困難さを実感した民衆党は総選挙後解体し、進歩勢力が院内に進出するのは、2000年1月に結成された民主労働党の発足を待たねばならなかった。 綱領
創党當時の党役職者
党勢推移
脚注
参考文献
関連項目 |