新政治国民会議
新政治国民会議(しんせいじこくみんかいぎ)は、1995年9月に結成された韓国の政党で、当時はまだ野党政治家であった金大中(キム・デジュン)が結成した。発足当初は野党であったが、1998年2月の金大中大統領就任とともに与党になった。略称は「国民会議」。 概要1992年12月18日に行われた第14代大統領選挙で金泳三(キム・ヨンサム)に敗れた金大中は政界引退を表明したが、1995年7月18日に政界復帰と共に新党結成を宣言、民主党[1]内の東橋洞系(金大中系)議員17名による創党準備委員会を9月5日に開催し委員長に金大中を選出。9月5日に創党大会を開催して金大中を総裁(党首)とする新政治国民会議(以下、国民会議)が結成された。 翌1996年4月の15代国会議員選挙では79議席を獲得し、野党第1党の座を死守したが、目標としていた100議席には届かず、全国区名簿14位で立候補していた金大中も落選する厳しい結果となった。1997年12月の第15代韓国大統領選挙では金大中を大統領候補に選出、金鍾泌(キム・ジョンピル)が率いる自由民主連合(自民連)との候補一本化(DJP連合)を実現した。金泳三大統領の支持率低下など追い風を受け、金大中は念願の大統領の座を手にした。しかし、国会では新韓国党と民主党が合同した巨大野党ハンナラ党が存在し、多数派を占めたため、国民会議は少数与党となり、困難な国会運営を強いられた。2000年1月20日に国民会議を母体として外部からの人材を集めた新党である「新千年民主党」が発足した。 創党時の党役職者
綱領及び政策国民会議は綱領で党の立場について参与民主主義と公正な市場経済を土台とした中道国民政党と位置づけた。
党勢推移
金大中・盧武鉉政権与党の再編過程脚注
参考文献関連項目
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