横手市立境町小学校
横手市立境町小学校(よこてしりつ さかいまちしょうがっこう)は、秋田県横手市上境にかつて存在した公立小学校。 概要境町小学校は、上境尋常小学校・下境尋常小学校・八丁尋常小学校の統合によって1911年(明治44年)に境町尋常小学校として開校した学校であるが[1]、2016年(平成28年)に横手北小学校に統合され、閉校した[2]。 閉校時まで使用された校舎は1980年(昭和55年)に竣工したものであったが、閉校後の2018年(平成30年)度に解体[3]。解体前に市が校内の様子を360°カメラで撮影し、Google ストリートビューにて公開している[4]。なお、体育館は2023年8月時点で現存しており、市が「境町中間書庫」として利用している[3]。解体後、敷地の利活用についての方針を定めるため、市は2021年(令和3年)1月12日よりサウンディング型市場調査を実施。同年5月31日に提案書の提出が締め切られたが、事業参加やアイデアの応募は無かった[5]。 沿革前史境町小学校の前身となる3校は、明治期に発された学制によって1874年に開校した以下の学校が前身となっている[注 1]。
1887年4月、下八丁学校[注 3]が旭地区の猪岡・三本柳・塚堀の各校と統合して「八丁簡易小学校」として下八丁村内に設置された[8]。1889年4月には町村制の施行により境町村が発足。同年7月に下境学校は「境町簡易小学校」となり[注 4][6]、八丁簡易小学校と上境学校は境町簡易小の分教室となった[6]。 1891年8月に「境町尋常小学校」と改称し[6]、1892年に2つの分教室が「上境尋常小学校」と「八丁尋常小学校」として独立した[9]。境町尋常小は1903年に高等科を併置[6][10]するが、尋常科六年制による義務教育年限の延長により高等科廃止の傾向が生まれ、他の農村地域の小学校(旭・朝倉など)と同様に1908年3月に高等科廃止を申請した[1]。1911年には境町・上境・八丁の3尋常小を統合し「境町尋常小学校」が発足[1]。また、就学率の向上や通学不便(遠距離)などを理由に、1912年3月に高等科の併置を再度申請した[1]。 年表以下、注釈の無い項目は横手市の旧公式サイトの情報によるもの[11]。
教育目標「みんな いい顔 いい心 ~元気 本気 根気~」という教育目標を掲げていた。
周辺
脚注注釈出典
参考文献
関連項目
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