榎本葵
榎本 葵(えのもと あおい、1992年7月24日 - )は、神奈川県川崎市多摩区出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。左投左打。 経歴プロ入り前小1から野球を始め、リトルシニアでは投手兼外野手として全国優勝を果たす。九州国際大学付属高等学校時代は、2009年に夏の甲子園に4番打者として出場。高校通算47本塁打[1]。広角に長打を打てる上にかなり脚が速いところから「九州のイチロー」と呼ばれた[1]。2学年先輩に二保旭、1学年先輩に河野元貴、1学年後輩に三好匠、髙城俊人、児玉龍也、2学年後輩に古長拓がいる。 2010年のプロ野球ドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスから4巡目で指名[2]。契約金3,000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は36。 楽天時代2011年には、一軍昇格の機会はなかったものの、イースタン・リーグ公式戦36試合に出場。少ない打数ながら、打率3割を記録した[1]。 2012年には、自身と同じ左打ちでレギュラー外野手の鉄平が右肩の痛みを訴えたことから、鉄平に代わって5月26日にプロ入り後初の一軍選手登録を果たした[3]。以降の試合では、プロ初安打を放ったほか、スタメンでも出場。6月6日に鉄平が一軍へ復帰した後も、同月18日に出場選手登録を抹消されるまで、引き続き一軍へ帯同していた。7月19日にHARDOFF ECOスタジアム新潟で開かれたフレッシュオールスターゲームでは、イースタン・リーグ選抜の3番・右翼手としてフル出場。4打数2安打の活躍で優秀選手賞を獲得した[4]。 2013年には、2月のオープン戦の試合前に、他の選手による遠投の球で右頬を骨折。その影響で、開幕から二軍での調整を余儀なくされた。一軍のレギュラー外野手・聖澤諒の負傷によって、8月21日にこの年初めて一軍登録。8月25日の対千葉ロッテマリーンズ戦(Kスタ宮城)では、8回裏に4番打者・アンドリュー・ジョーンズの代走で出場してから、9回裏に迎えたこの年初打席で右中間へサヨナラ安打を放った。この安打では、一軍での初打点を挙げている[5]。 2014年には、春季キャンプから一軍への帯同を続けた結果、自身初の開幕一軍登録を果たした。レギュラーシーズン通算では、代走や守備要員を中心に、一軍公式戦24試合に出場した。また、シーズン終了後に開催された第1回U-21野球ワールドカップでは、オーバーエイジ枠で日本代表のメンバーに招集。全8試合に先発で出場するとともに、20打数5安打2打点13四球という成績でチームの準優勝に貢献した[6]。 2015年には、一軍公式戦15試合へ出場。4試合でスタメンに起用されたほか、3得点を記録したが、打撃面では18打数1安打(打率.056)という成績にとどまった。10月にはフェニックス・リーグに参加[7]したが、球団は10月26日に榎本の支配下選手契約を解除[8]。11月19日には、育成選手として球団と再び契約を結ぶとともに、背番号を036に変更した[9]。 2016年には、イースタン・リーグ公式戦60試合に出場。1本塁打、16打点、3盗塁、打率.287という成績を残した。しかし、支配下登録選手への復帰を果たせないまま、10月1日に球団から戦力外通告を受けた[10]。10月31日にNPBから自由契約選手として公示[11]されたが、NPB他球団での現役続行を希望していたため、11月12日には12球団合同トライアウト(阪神甲子園球場)に参加。シートバッティング形式の対戦で、5人の投手を相手に、5打数1安打1四球2三振という結果を残した[12]。 ヤクルト時代2016年11月25日に、東京ヤクルトスワローズが榎本の獲得を発表した[13]。支配下登録選手としての契約で、背番号は64。 2017年10月3日に、球団から自身2度目の戦力外通告を受けた[14]。11月15日に、昨年に引き続き12球団合同トライアウト(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)に参加。4打席で3安打1本塁打1四球という成績を残したが、NPB球団からの獲得には至らなかった[15]。 社会人野球時代トライアウト後、東京都足立区を拠点に活動する社会人野球・クラブチームのREVENGE99への入部が決まった[15][16]。会社員として勤務しながらプレーすると報じられた[15]。 BCリーグ・富山時代2018年6月5日、ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)の富山GRNサンダーバーズが榎本の入団を発表した[17]。発表に付されたコメントではNPBへの復帰を目指すことを表明していた[17]。2019年シーズン終了後に、富山を退団(任意引退)することが発表された[18]。 現役引退後2020年にInstagramアカウントを開設し、「オンラインレッスン」と称して球児向けに野球技術のアドバイスなどを発信していた。 2024年4月1日、関西独立リーグ(さわかみ関西独立リーグ)の姫路イーグレッターズでコーチに就任することが発表され[19]、翌日リーグより公示された[20]。監督を務める海田智行に共通の知人を通じて紹介されたという[19]。 選手としての特徴・人物俊足と広角打法が持ち味の外野手[21]。 愛称は「エノ」、「エノさん」[22]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
独立リーグでの打撃成績
背番号
登場曲
脚注
関連項目外部リンク
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