植村家保
植村 家保(うえむら いえやす / いえもり)は、大和高取藩の第13代藩主。 生涯天保8年(1837年)7月1日、近江膳所藩主・本多康禎の七男として生まれる。嘉永6年(1853年)に高取藩の第12代藩主・植村家興が急死したため、その末期養子となって家督を継いだ。 幕命により外国船到来に備えて、堺警備を担当する一方で、安政2年(1855年)に桜田門番・竹橋門番に任じられ、12月には御所造営の奉行を担当し、文久元年(1861年)には和田倉門番・馬場先門番に任じられるなど、諸役を歴任した。文久3年(1863年)には天誅組の変で天誅組と戦い、勝利した。元治元年(1864年)2月、大坂加番に任じられる。 慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、新政府に与して京都御所の警備を務めた。慶応4年(1868年)閏4月14日、養子の家壷に家督を譲って隠居する。 明治18年(1885年)4月に正五位に叙位する。明治19年(1886年)4月に権少教正に任官し、明治21年(1888年)9月には大和神社の宮司となった。明治29年(1896年)10月8日に死去した。享年60。
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