水野忠義
水野 忠義(みずの ただよし)は、江戸時代後期の大名。駿河国沼津藩3代藩主。沼津藩水野家10代。官位は従四位下・大和守、出羽守。 略歴寛政4年(1792年)9月26日、2代藩主・水野忠成の三男として江戸浜町屋敷で生まれる。文化5年(1808年)12月11日に従四位下、大和守に叙任する。天保5年(1834年)の父の死去により家督を継ぎ、出羽守に転任した。 藩政においては家臣団統制に苦慮し、尽力した。幕命により天保6年(1835年)8月、江戸城普請に1万両、西の丸修理費用に1万両の提出を命じられるなど、苦しかった藩財政はさらに苦しくなった。 天保13年(1842年)1月19日に江戸外桜田屋敷で死去した。享年51。跡を次男の忠武が継いだ。 系譜父母 正室
側室
子女
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