棚橋康郎棚橋 康郎(たなはし やすろう、1941年 - )は、日本の実業家。新日本製鐵常務取締役や新日鉄ソリューションズ社長を務めた。 来歴名古屋市千種区に生まれる。 幼少時代は岐阜県大垣市で過ごす。その後愛知県立明和高等学校(1959年卒業)を経て、慶応義塾大学経済学部に入学し、加藤寛ゼミで学んだ。 物事には前捌きで捌いてよい問題もあるが、原点に回帰して構造的に取り組まねばな らない問題があることをしっかり認識し、後者については労を惜しんではならないと教えられる。 1963年の卒業後は日本経済の基幹産業である製鉄業を志し、富士製鉄(現・日本製鉄)に入社した。 入社後、経営企画部・販売管理部・総務部など製鉄事業の企画管理畑を歩んだが、取締役就任後はバブル崩壊を受け、手を広げ過ぎた新規事業の選択と集中を決断し、整理撤退すべき事業(半導体事業・シリコンウエハ事業)からの撤退と残すべき事業(情報通 信事業・新素材事業)の育成強化を陣頭指揮した。 その後、子会社の新日鉄情報通信システム社長に就任し、翌年、新日本製鐵の情報通信事業部を本体から切り離して統合し、新日鉄ソリューションズ(現・日鉄ソリューションズ)を発足させ、初代社長に就任した。 事業統合した翌年には東京証券取引所1部に上場を果たした。 その間、経済団体連合会情報通信委員会情報化部会長、JISA(情報サービス産業協会)会長を引き受け、ITの黎明期における社会のIT利活用の普及・促進やそれを支える情報システ ム産業界のレベルアップを主導し、同産業を21世紀の基幹産業に構造改革する啓蒙活動に尽力した。 また、政府の産業構造審議会・国民生活審議会・住民基本台帳推進協議会などの委員としてITの視点から情報発信した。このほか、インターネットイニシアティブ、村田製作所、横河電機、燦ホールディング、縄文アソシエイツなどで社外取締役を務めた。 略歴
著書
脚注
|
Portal di Ensiklopedia Dunia