桐ケ丘 (東京都北区)
桐ケ丘(きりがおか)は、日本の東京都北区の町名[5]。現行行政地名は桐ケ丘一丁目及び桐ケ丘二丁目。住居表示実施済区域。 地理北区の北西部に位置し、北は赤羽北、東は赤羽台、南は赤羽西、西は板橋区小豆沢と接している。 桐ケ丘の大半に都営住宅が建設されており、「マンモス団地」の様相を呈している。なお、周辺地域には都営桐ケ丘赤羽台アパート(赤羽台四丁目)、都営赤羽西五丁目アパート(赤羽西五丁目)、都営赤羽北三丁目アパート(赤羽北三丁目)といった住宅団地・集合住宅が多数林立していることから、桐ケ丘を含む周辺地域一帯を「マンモス団地群」としてみることもできる。 南部が一丁目、北部が二丁目であるが、一般的には都営桐ケ丘アパートの建物名の表記(後述)から、「E地区」「W地区」(以上一丁目)、「N地区」(二丁目)の3地区に大別されることが多い。
二丁目は一丁目と比較して傾斜地である。 北区は、区内を赤羽地区、王子地区、滝野川地区の3地区に分けて行政施策をおこなうことが多いが、この場合、桐ケ丘は赤羽地区に分類される。 1丁目は65歳以上の高齢者の人口が、2020年に実施された国勢調査で58.9%であることが明らかとなり、限界集落となった[6]。 歴史現在の桐ケ丘にあたるエリアは1871年(明治4年)11月に浦和県(現埼玉県)から東京府北豊島郡に編入された。1889年に岩淵町の一部となり、1932年に東京市王子区(現・東京都北区)の一部分となった。1964年に住所表示を実施し、赤羽町と袋町の一部をもって桐ケ丘1~2丁目が成立した。 地名の由来
世帯数と人口2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年10月時点)[13][14]。
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[15]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
交通鉄道地域内に駅は存在しない。JR東日本の赤羽駅と北赤羽駅、東京都交通局の本蓮沼駅と志村坂上駅が徒歩圏内である。1970年代には東京都市高速鉄道第7号線(後の東京メトロ南北線)・西が丘車両基地への引き込み線途上にある桐ケ丘付近に駅を設ける計画が存在したが、住民による反対運動の結果、車両基地建設が取りやめになったため駅が作られなかった。 バス赤羽駅西口を発着点とする国際興業バスの路線が桐ケ丘をカバーしている。多くの路線が早朝から深夜まで頻繁に運転されており、路線バスの利便性は比較的良好である。運賃は、深夜バスを除いて大人220円均一である。 バス停以下のバス停はその両方向または片方向が桐ケ丘にある。
バス路線多数の路線が桐ケ丘を経由するが、往路と復路で運行経路が異なり、どちらか一方しか桐ケ丘を経由しない路線があることと、すべての路線が前述のバス停を通るわけではないので、路線バスの利用にあたっては注意が必要である。
道路
都営桐ケ丘団地桐ケ丘には「都営桐ケ丘アパート」と「都営桐ケ丘一丁目アパート」という2種類の都営住宅がある。 「都営桐ケ丘団地」と言う場合、桐ケ丘に存在する都営住宅群だけを指す場合は少なく、赤羽台三丁目にある1棟=都営桐ケ丘アパートE45号館、赤羽北三丁目にある4棟=都営桐ケ丘アパートN55号館~N58号館、赤羽台四丁目にある3棟=都営桐ケ丘赤羽台アパート1号棟~3号棟を含めることが多い。 都営桐ケ丘アパート旧陸軍赤羽火薬庫などの跡地に、1954年度(昭和29年度)[17]から1976年度(昭和51年度)[17]という長期間にわたり建設された。敷地面積45.9ヘクタール[17]。建て替え工事開始前は、総戸数5,020戸[17]、146棟であった。 建て替えにより、総戸数は2661戸(2009年12月現在、東京都都市整備局ウェブによる)。 特徴建物は、ボックス型のポイントハウスである14階建てのE47号館以外はすべて5階建て以下である。ほとんどの棟にエレベーターはない。 フロアの端から端までを移動することのできる廊下を備えた棟(居住者は「横階段方式」と呼んでいる)や、1号室と2号室の間、3号室と4号室の間というように2戸ごとに階段がある棟(同じく「縦階段方式」と呼んでいる)、重層方式(メゾネット方式)、1階が店舗や医療機関等で2階以上が住居となっている棟、1階が車椅子住宅になっている棟など様々な形態の棟がある。 建物名の表記等都営桐ケ丘アパートの各棟は、地域を表すアルファベットと数字の組み合わせで表されている(例:E1号館)。
都営桐ケ丘一丁目アパート都営桐ケ丘団地再生計画(後述)によって建て替えられた桐ケ丘一丁目の棟は、都営桐ケ丘一丁目アパートと称している。総戸数は1496戸(2009年12月現在、東京都都市整備局ウェブによる)。 特徴建物は4~19階建てですべての棟にエレベータが備えられている。 都営桐ケ丘アパートにあった「縦階段方式」や「重層方式」(メゾネット方式)はない。1階が保育園、児童館、介護関連施設で2階以上が住居となっている棟、1階の一部が車椅子住宅になっている棟、一部がシルバーピアになっている棟もある。 建物名の表記等都営桐ケ丘一丁目アパートの各棟には、都営桐ケ丘アパートと異なり、地域を示すアルファベットは付かず数字のみで表されている。 都営桐ケ丘アパートでは「号館」と称していたが、都営桐ケ丘一丁目アパートは「号棟」と称している(例:2号棟)。 現在、東地区(E地区)には2~3号棟と5~11号棟、西地区(W地区)には27号棟、33号棟~44号棟が完成し、入居が始まっている。 都営桐ケ丘団地再生計画概要と課題都営桐ケ丘団地では、1997年度から2020年度までの24か年におよぶ都営桐ケ丘団地再生計画がすすめられている。 この計画が進行中であった1999年に就任した石原慎太郎東京都知事の下、計画の縮小と先送りがおこなわれており、工事は遅れ気味である。 前期計画の中で建設される予定であった1号棟が未だ建設されていないのも計画の縮小によるものである。 1号棟は都民住宅として建設され、1階には現在都営桐ケ丘アパートE45号館1階で営業・診療をおこなっているコープとうきょう桐ヶ丘店と桐ヶ丘団地診療所も移転する計画で設計も終了していた。これらの施設について、移転先の見通しがいつまでもあきらかにされないことから、両者の関係者の中に不安がひろがっており、東京都などに対する要請行動がおこなわれている。[要出典] なお、1号棟建設予定地とされていた都営桐ケ丘アパートE7号館跡地は、現在ねぎり土保管場となっている。 前期計画1997年度から2008年度までの12か年を3期に分けて、建て替え工事と改善工事がおこなわれた。 建て替え工事では、桐ケ丘一丁目にあった桐ケ丘アパートのおよそ半分の棟と赤羽台四丁目の桐ケ丘赤羽台アパートについておこなわれた。 このなかで、北区立の特別養護老人ホーム やまぶき荘が新設され、桐ケ丘保育園、桐ケ丘児童館、桐ヶ丘デイホームの建て替えもおこなわれた。 改善工事は、主に桐ケ丘二丁目の桐ケ丘アパートについて、浴室の無かった棟に浴室を増設したり、2DKを3DKへと増築したり、3世帯分の住居スペースを2世帯分の住居スペースとするなどの工事がおこなわれた。 後期計画2009年度から2020年度までの12か年を3期に分けて、前期計画で建て替え工事がおこなわれなかった棟について建て替え工事がおこなわれることになっている。 施設保育園
医療
郵便局・金融機関公園
その他公共施設
その他
教育機関
行事
その他日本郵便脚注
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