桂春蝶 (3代目)
3代目 桂 春蝶(かつら しゅんちょう、1975年1月14日 - )は、日本の落語家で、上方落語の演者。本名∶濱田 大助。 概要3代目桂春団治に入門し桂春菜を名乗り、2009年8月に父の名跡である「3代目桂春蝶」を襲名[1]。 古典落語を得意とする他にも、「明日ある君へ ~知覧特攻物語~」「エルトゥールル号遭難事件」「ニライカナイで遭いましょう~ひめゆり学徒隊秘抄録~」に代表される新作落語シリーズ『命の落語シリーズ』も手掛け、親交がある桑田佳祐・原由子夫妻やさだまさしからも高く評価されている[2][3][4]。 生まれ育った日本への愛と感謝の念を持っており、後述の通り自らの政治信条を語ることも多く、2017年秋から2024年春まで夕刊フジにて『桂春蝶の蝶々発止』という連載を担当した[5]。 来歴2人兄妹で、妹がいる。元々は落語家志望ではなく、『めぞん一刻』のヒロインである音無響子に憧れ[6]、主人公である五代裕作が就職した、同じ保育士の資格を取得するため専門学校に通う予定だったが、1993年1月、実父である2代目桂春蝶の死をきっかけに、その通夜の席で、父の偉大さを知り同じ道を志すこととなる[7]。 1994年4月 、父の師匠にあたる3代目桂春団治に入門し春菜を名乗る。父・2代目春蝶は兄弟子ということになる[注 1]。 19歳で入門後、10年程芽が出ず、貧乏生活が続いた[8][注 2]。19歳から28歳まで家賃29000円のアパートに居住し、その家賃すら払えず、2世としての功罪で初めてお金のない苦しみを味わい心も荒み、その後、生活に困ったので、特技であったスキーの技術を生かし、長野県白馬村で昼はスキーの指導員の仕事を行い、夜は生徒を相手に落語を一席設けて[9]、酔っ払ったお客さんがおひねりを投げてくれて、惨めさの半面、飢えが凌げるという安堵感に満たされたことを明かしている[7]。 1997年、浪花座にて初出演。2001年、 観世流シテ方、和泉流狂言師、文楽三味線奏者とともに、伝統芸能継承者のユニット「弁天座」を結成した。その後、2003年、「弁天座」から「伝統芸能推進集団『風流』」へ改名。 2005年10月、同じ2世落語家である林家いっ平(2代目林家三平)、月亭八光、林家きくお(2代目林家木久蔵)、三遊亭王楽とともに『坊ちゃん5』を結成、11月に「東西二世五人会」を開催。 2005年10月、トランペット奏者であり作曲家でもある道下克己との、ジャズを聴きながら落語も堪能できるイベント「春菜・みちしたの会」を、「酒飲処『BAR JAZZ』」にて始める。 2006年5月10日付けで、後述の花の里きょなん観光大使就任のきっかけとなった、当時テレビ番組の番組制作会社でプロデューサーを務めていた女性と結婚し[10]、同年12月に披露宴を挙げた。主賓には師匠である、桂春団治夫妻、乾杯は桂ざこば、来賓代表は桂福団治、司会は浜村淳であった[11]。 2006年9月、「3代目桂春蝶」を襲名することが決定する。2007年、B1角座の新たな劇場として開設の杮落としとして春蝶襲名披露興行を予定されていたが頓挫する[12]。2009年8月30日、「3代目桂春蝶」襲名。同日より11月まで 襲名披露興行を大阪・松竹座、京都・南座など全国12か所で開催[1][13]。 2009年12月、「繁昌亭大賞」爆笑賞受賞。2010年7月、芝居の劇団「桂春蝶劇団」旗揚げ。 2011年4月、前述の襲名披露公演の延期等の出来事もあり、松竹芸能を離れフリーとなる。その後、同年12月に、笑福亭鶴瓶に誘われ、関西圏でのレギュラーの仕事を整理して[2][14]、活動の拠点を大阪市西区堀江から東京都目黒区に移した[15][16]。2018年時点で上方落語協会に籍を置いている(2018年は「彦八まつり」で実行委員長を務める)が、転居して以降は公演の半数近くが東京での公演となっている。 2013年12月「咲くやこの花賞」受賞。2016年9月、妻の出身地である千葉県安房郡鋸南町の花の里きょなん観光大使に就任[17][18]。 人物・エピソード3代目春団治との関係
交流関係
趣味・嗜好
思想・哲学
命の落語シリーズ
弟子連載コラム出演番組テレビ
ラジオ
関連項目
脚注注釈
出典
外部リンク
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