板倉勝暁

 
板倉勝暁
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 享保12年(1727年
死没 寛政4年7月28日1792年9月14日
別名 百助
戒名 瑞円院寂厳源運
墓所 愛知県西尾市貝吹町の長円寺
官位 従五位下従四位下伊勢守肥前守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治家斉
上野安中藩
氏族 板倉氏
父母 板倉勝清
兄弟 勝暁北条氏興、内藤正久、本堂親房
勝矩勝意
戸沢正庸
松平忠愛
鐸次郎、英次郎、鎌次郎、本多忠誠正室、土井利厚正室[1]、女子[1]
勝意
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板倉 勝暁(いたくら かつとし/かつとき)は、江戸時代中期の大名上野国安中藩主。官位従四位下伊勢守肥前守重形系板倉家4代。

略歴

享保12年(1727年)、または享保13年(1728年)8月28日に、初代藩主・板倉勝清(当時は泉藩主)の長男として陸奥国泉にて誕生。安永9年(1780年)、父の死去により跡を継ぎ、天明3年(1783年)9月に奏者衆となる。天明4年(1784年)に長男が早世したため、弟・勝意を世子として迎えた。

寛政4年(1792年)7月28日(または8月12日)に死去した。享年66。跡を勝意が継いだ。

系譜

父母

正室、継室

子女

  • 板倉鐸次郎(長男) - 早世
  • 板倉英次郎(次男) - 早世
  • 板倉鎌次郎(三男) - 早世
  • 本多忠誠正室
  • 土井利厚正室[2]
  • [2](早世)

養子

脚注

  1. ^ a b 宮内庁書陵部所蔵「華族系譜23」p.57
  2. ^ a b 寛政譜などの系図には勝清の実子と記載されている。