松平光煕
松平 光煕(まつだいら みつひろ)は、美濃加納藩の第3代藩主。山城淀藩の初代藩主。戸田松平家5代。諱は光熙と記される場合も多い。 生涯延宝2年(1674年)、加納藩第2代藩主・松平光永の長男として美濃国加納に生まれる。天和3年(1683年)3月15日、将軍・徳川綱吉に御目見する。元禄元年12月25日(1690年)、従五位下・河内守に叙任する。元禄8年(1695年)5月12日、綱吉が阿部正武(光煕の正室の父)の屋敷に御成りの際、将軍の前で『論語』を講じる。 宝永2年(1705年)4月15日、家督を継いで加納藩主となる。弟の光規に蔵米3000石を分け与える。4月21日、官途を丹波守と改める。宝永3年(1706年)、藩主として初めて城地に赴いた。宝永5年(1708年)、幕命により禁裏造営に従事し、宝永6年(1709年)、功により朝廷より広次の御太刀および堂上家寄合書の『拾遺集』を下賜され、幕府からも時服を授かる。宝永8年(1711年)2月15日、6万石で山城淀に移封された。山城の他、河内、摂津、近江国にも領地があった。享保2年(1717年)9月4日に死去した。享年44。 跡を三男の光慈が継いだ。 系譜父母 正室
側室
子女 脚注
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