永井尚佐
永井 尚佐(ながい なおすけ)は、美濃加納藩の第4代藩主。尚庸系永井家7代。 旗本太田直熹(永井尚備の次男)の次男。官位は従五位下、山城守、出羽守、肥前守。幼名は友吉、初名は直弼。 経歴寛政2年(1790年)10月29日、先代永井直旧が嗣子なくして死去したため、従弟にあたる尚佐が末期養子となって9歳で家督を継いだ。寛政10年(1798年)12月16日、従五位下山城守に叙任された。後に出羽守、肥前守に改める。幕府から大坂加番を命じられた。寛政10年から翌年にかけて、領内では洪水を契機として百姓一揆が起こり、藩政では多難を極めた。 文化5年(1808年)、諱を直弼から尚佐と改めた。文政2年(1819年)7月8日、奏者番に任じられた。西の丸年寄を経て文政10年12月20日、若年寄に任じられた。のち大御所徳川家斉付となった。 天保10年(1839年)5月18日、57歳で死去した。法号は仁山義顕正改院。跡を次男の尚典が継いだ。 系譜父母 正室
側室
子女
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