松井 正夫(まつい まさお、1898年〈明治31年〉10月10日 - 1956年〈昭和31年〉11月17日)は、日本の化学者、文部官僚。元文部省学校教育局大学教育課長、新潟高等学校の最後の校長、新潟大学理学部初代学部長。専門は有機化学。位階は正三位。
略歴
新潟県新潟市(現 新潟市中央区)の判事・松井郡治の長男として出生[1]。
1916年(大正5年)3月に新潟中学校を卒業、1919年(大正8年)7月に第二高等学校を卒業、1922年(大正11年)3月に東京帝国大学理学部化学科を卒業[2]。
1922年(大正11年)6月に山口高等学校教授に就任、11月から1924年(大正13年)3月まで陸軍に入隊のため山口高等学校を休職[3][4]、1931年(昭和6年)12月から1933年(昭和8年)9月まで化学の研究のためドイツやアメリカに留学[1][5]。
1943年(昭和18年)12月に文部省教学官に就任、専門教育局[注 1]に勤務、1946年(昭和21年)5月に学校教育局[注 1]専門教育課長に就任、9月に大学教育課長に就任[7]。
1947年(昭和22年)9月に第9代新潟高等学校校長に就任[8]、1949年(昭和24年)5月に新潟大学が発足すると理学部の初代学部長に就任[9][注 2][注 3][注 4]、1950年(昭和25年)4月に新潟大学一般教養部初代部長に就任[12][注 5][注 6]。
1956年(昭和31年)11月17日午前に新潟大学理学部の研究室で赤外線分光光度計を据え付けている最中に脳溢血で倒れて午前11時20分に死去[14][注 7]、58歳没。
業績
文部省学校教育局大学教育課長の松井正夫の従来の官僚の慣習にとらわれない果断な処置によって大学基準協会の設立と大学基準の制定という事業が成立した[16]。
第5代新潟医科大学学長の橋本喬(のちに新潟大学初代学長)とともに新潟大学の設立の中心となって活動した[17]。
新潟大学の理学部の開設準備委員長となって諸般の準備を整え、教官を選考し、理学部の開設後は学部長として施設・設備の充実に尽力した[18]。
栄典
親族
著書
- 『高等敎科 無機化學』菊池末太郎・佐藤久次・澄谷泉・橋本吉郎・村井淳吉[共著]、養賢堂、1937年。
- 『高等敎科 有機化學』菊池末太郎・佐藤久次・澄谷泉・橋本吉郎・村井淳吉[共著]、養賢堂、1937年。
- 『高等敎科 化學總論』菊池末太郎・佐藤久次・澄谷泉・橋本吉郎・村井淳吉[共著]、養賢堂、1937年。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 「松井正夫」『第十七版 人事興信錄 下』「ま」35頁、人事興信所[編]、人事興信所、1953年。
- 「松井正夫」『越佐人物誌 中巻』888-889頁、牧田利平[編]、野島出版、1972年。
- 「松井正夫」『新潟県大百科事典 下巻』583-584頁、榊田久雄[著]、新潟日報事業社[編]、新潟日報事業社、1977年。
- 「松井正夫」『新潟県大百科事典』復刻デスク版、1819-1820頁、榊田久雄[著]、新潟日報事業社出版部[編]、新潟日報事業社出版部、1984年。
- 「松井新大教授急死 研究室で脳イッ血に倒る」『新潟日報』1956年11月17日付夕刊、3面、新潟日報社、1956年。
- 「松井正夫儀」『新潟日報』1956年11月18日付夕刊、1面、新潟日報社、1956年。
- 『新潟大学二十五年史 総編』新潟大学二十五年史編集委員会[編]、新潟大学二十五年史刊行委員会、1974年。
- 『新潟大学二十五年史 部局編』新潟大学二十五年史編集委員会[編]、新潟大学二十五年史刊行委員会、1980年。
- 『大学基準協会十年史』大学基準協会十年史編纂委員会[編]、大学基準協会、1957年。
- 『大学基準協会五十五年史 通史編』大学基準協会年史編さん室[編]、大学基準協会、2005年。
- 『戦後日本の教育改革 9: 大学教育』海後宗臣・寺崎昌男[著]、海後宗臣[監修]、東京大学出版会、1969年。
- 「県内男性最高齢百七歳の父松井道夫を語る (PDF) 」『青山同窓會報』第99号、12面、松井光一[著]、青山同窓会、2014年。
関連文献
- 「故松井教授に初の新潟大学葬」『新潟日報』1956年11月18日付朝刊、7面、新潟日報社、1956年。
- 「松井正夫殿」『新潟日報』1956年11月18日付夕刊、1面、新潟日報社、1956年。
- 「夫正夫儀」『新潟日報』1956年11月18日付夕刊、1面、新潟日報社、1956年。
- 「松井教授の大学葬」『新潟日報』1956年11月21日付朝刊、5面、新潟日報社、1956年。
- 「故松井教授に御供物料」『新潟日報』1956年11月21日付朝刊、5面、新潟日報社、1956年。
新潟大学学長(新潟高等学校長:1947年 - 1950年) |
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