東京ふんどし芸者

東京ふんどし芸者
監督 野田幸男
脚本
出演者
音楽 津島利章
撮影 中島芳男
編集 西東清明
製作会社 東映東京撮影所
配給 東映
公開 日本の旗 1975年10月18日
上映時間 82分
製作国 日本の旗 日本
前作 温泉おさな芸者
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東京ふんどし芸者』(とうきょうふんどしげいしゃ)は、1975年公開の日本映画堀めぐみ主演・野田幸男監督[1][2]。製作:東映東京撮影所、配給:東映[1]R-18(成人映画)指定[1]

映連のサイトでは含まれないが[3]、東映の"温泉芸者シリーズ"の一本とされ[4][5][6][7]、シリーズ7作目にして最終作[5][8]。"東映温泉芸者シリーズ"は、第1作から5作目まで東映京都撮影所(以下、東映京都)の製作[8]。第6作目の『温泉おさな芸者』と本作が東映東京撮影所(以下、東映東京)の製作[8]

キャスト

スタッフ

製作

企画

当時の東映東京は不振続きで、さらに組合運動も京都に比べて活発で、このままでは岡田茂東映社長が、当時構想していると噂された東西のどちらかの撮影所を閉鎖する側になりかねないと東映東京の活動屋は危機感を抱き[7]、起死回生の企画として立案された[7]。これを例によって「タイトル作りの天才」こと[7]、岡田茂が『東京ふんどし芸者』と題名つけた[7][8]。岡田は"温泉芸者シリーズ"が好きだったとされ[9]、岡田好みのエロサービス狙いの映画である[10]。岡田は「"温泉芸者シリーズ"はタイトルだけでお客を呼ぶ力があった」[11]「半分笑いになるからいい」[12]など述べていた。1968年に岡田が"温泉芸者シリーズ"を始める際、その第一作に『温泉ふんどし芸者』と命名したが[11]映倫からのクレーム[11]、『温泉あんま芸者』に変更した[13]。なぜこの年になって似たようなタイトル『東京ふんどし芸者』がOKになったかといえば、岡田は1971年9月に映倫維持委員会常任委員長に就任しており[14]、1968年当時は映倫から審査される側だったが、この年は審査する側になったからである[14]

キャスティング

1975年9月19日、東京東大泉の東映東京でクランクイン[15]。宣伝を兼ね、マスメディアを集めて連日満員御礼大相撲秋場所に対抗し、オープンセット内に畳20を敷いて上半身裸、下半身に赤いチリメンふんどしを締めた美女10人による女相撲+騎馬戦デモンストレーションが行われた[15]行司も同じ格好をした女性が務め「ハッケヨイ、ノコッタ、ノコッタ」などと声をかけ、ふんどしが擦り落ちそうになった[15]。新人で主演を務める堀めぐみは『下刈り半次郎(秘)観音を探せ』と『まむしと青大将』にチラッとだけ出演した後、本作の主役に大抜擢された[7][8][15]。堀は本名:内堀文恵。奈良文化女子短大を卒業したばかりの20歳で、保母の資格を持つインテリ[15]。身長160cm、B86cm、W60cm、H89cmで[15]、小股が切れ上がりふんどしがよく似合うと主役に抜擢された[15]。堀は家宝の"昇り昇天"を武器に男どもを軒並み幸せにしていく役。マスメディアの取材に「ふんどしよりはヌードがいいわね。あなたが女性のパンティーを履いた時と、そりゃあ同じ気持ちよ」などと話した[15]

ライバル芸者花蝶には、ピンク映画で多くの主演を務めた茜ゆう子がキャスティングされた[8]。豆奴を演じる三井マリアは、新宿三光町のガソリンスタンドで働く事務員だったが、沢井プロ代表・沢井悠一にスカウトされた[16]。高校時代は水泳の選手で、泳がせてみたら、クロールで泳ぐたびに凄いバストが横に流れるのに注目し脱がせる決心を固めた[16]。演技力は0に等しかったが、『好色元禄(秘)物語』で2メートルもあるを裸身に巻き付け大ハッスル[16]東京12チャンネルバラエティ番組独占!男の時間』をステップにして本作でふんどし芸者を演じた[16]。映画は東映で二本出た後、日活ロマンポルノの傑作とされる『わたしのSEX白書 絶頂度』に主演し、突如姿を消した[8][17]

撮影

起死回生とは号令ばかりで、予算も少なく、許容尺数も撮影スケジュールも最低に近い規模を与えられた[7]。ここへ「残業の帝王」こと野田幸男が監督に抜擢された[7]。野田は滅多やたら撮りまくり[18]カットを切り刻み[18][19]脚本にもしつこく口出しし[7]、現場も音を上げ[7]、岡田社長からも嫌われた[19][20]。本作でも野田は頑なに自身のポリシーを貫き、連日、撮影所首脳に呼び出され、説教され続けた[7]。それでも聞かず、遂に「あれほど忠告したのに予算も日数もオーバーだ。客の入りがよかったとしても、野田くん、君はもう、この撮影所で二度と仕事が出来ないと思ってくれ」と最後通告を受けるに至った[7]

クライマックスの見せ場であるふんどし一丁になった芸者たちによる騎馬戦と花電車三番勝負の撮影の前日、主演級女優がトンズラ(遁走)した[7]ポルノ映画の撮影ではよくあることで[7]、プロデューサーも慣れっこでさほど慌てず、東映京都から脱げる大部屋女優を調達し、東映本社を通して調整し、翌日上京した[7]

製作費が尋常でなく安く[8]、それまでの"東映温泉芸者シリーズ"は、実際に地方温泉地に行ってロケを行ったが[7]、ロケを減らしてほとんどがスタジオのセット撮影[7][8]。それまでの地方の温泉場ではなく、タイトル通り、屋外シーンのメイン撮影は寂れゆく三業地・中野新橋[7]。その他の屋外シーンは時間もないため、本作品担当外のスタッフが行った[8]。60人のヌード女優の騎馬戦の撮影はクランクアップの日。女たちは掴み合い、転げ回り、ふんどしが外れ、中には前貼りを嫌って付けてない女優もいるためナニが露わになった[7]。しかし野田はいつまで経っても「カット」を掛けない。リハーサルでは、とっくにカットが掛かっている筈だったが、カットが掛からない限り、芝居を続けるのが役者の習性のため、女優たちは、必死に相手に組みつき、息も絶え絶え、乱闘を続ける。「もう限界だ!」と助監督佐伯俊道が「カット!」と叫んだ[7]。汗まみれの女優たちが次々に倒れ込んだ。佐伯は野田に「出過ぎた真似してすみません。でも何でカットを掛けなかったんですか?」と言ったら、野田は「すまん。大学出てから、ずっとここで育ってきた。この撮影所には、僕の青春が詰まっているんだ。でもこのカットで、僕の撮影所生活が終わる。そんなこと考えてたら、声が出なくなった」と涙を流した[7]

1975年9月28日、撮影10日間でクランクアップ[10]

同時上映

極道社長

東京丸の内東映のみ『飢餓海峡』のリバイバル上映[21]

宣伝

併映『極道社長』とスポーツ新聞等に掲載されたキャッチコピーは、「ナヌ!?めくってもめくっても《悩殺笑殺特集》大増刊」で、本作は「見せたげる!とっておき九番秘戯の花電車! ざっと数えて69人、ふんどし一丁のエロ攻勢! 最後はモチロンほどいて見せるドッキリお遊びテクニック 田植遊び・裸女騎馬戦・おんな相撲は序の口よ! おアトはスゴイビール瓶ディープスロート、バナナ・カット、ゼニ挟み、口じゃ言えないご乱行」だった[22]

作品の評価

藤木TDCは「さながら山田風太郎忍法帖よろしく、芸者たちが"花電車"で秘技を競い合う、恐ろしくオリジナリティーの高い"花電車アクション"の世界を構築、遂に温泉芸者映画の到達点を示した。この後の海外旅行ブームによって徐々に庶民の夢から遠ざかっていき、温泉芸者映画は日活ロマンポルノで細々と製作されるにとどまった。1985年、今世紀最後の温泉芸者ムービーの大作が信じられないキャストで封切られた。またも東映による吉永小百合主演の『夢千代日記』(浦山桐郎監督)である。しかしそこにある温泉芸者の世界は、寂れ果てゆくピンク温泉郷の現実同様に、あまりにも夢がなく、暗鬱なものだった。60年代、男たちが遊んだこの世の桃源郷は、はるか彼方に消えたのか」などと評した[4]

影響

『東京ふんどし芸者』は野田の久しぶりの映画復帰作だったが、前述のように予算も日数もオーバーし、東映主脳から「二度と映画は撮らせない」と最後通告を受け、撮影所を出入り禁止となった[7][19]。野田は本作を最後に東映東京を去り[8]、再びテレビの世界に移る[8]。本作の後も二本の監督作があるが、東映東京は製作に関わっていない[7]。ただ1985年に東映東京で監督を務めると報道されたことがある[23]。それはタモリ主演の『いいとも探偵局』という映画で[23][24][25]、これで久しぶりに映画監督に復帰することが予定されていた[23]。1985年の正月映画第二弾の予定で話も進み[24]、タモリの所属事務所田辺エージェンシーも乗り気だった[24]。撮影は1984年の8月~9月を予定していたが[24]、監督決定や脚本が遅れてタモリのスケジュール調整が出来なくなり中止になった[23][25][26]。当時はテレビの勢いが凄かったため、映画関係者は「テレビの方が金にはなるのだろう」と皮肉った[23][注 1]

映像ソフト

1988年にビデオが発売されている。2009年9月21日に"東映温泉芸者シリーズ"6本がDVDで発売されたが、本作は入れてもらえなかった[6]。2022年現在DVDは未発売。

脚注

注釈

  1. ^ 1985年の正月映画第二弾では、松竹ビートたけし主演で『たった90日のララバイ』を準備していて、タモリvs.ビートたけしというお笑いタレントによる正月映画対決という興味も持たれたが実現しなかった[24]。『たった90日のララバイ』も一旦製作中止と報道されたが[24]、『哀しい気分でジョーク』に改題され、こちらは1985年4月に公開されている[27]。『いいとも探偵局』中止の対応として東映は1985年の正月映画第一弾で、『キン肉マン 大暴れ!正義超人』『Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ!ナナバ城の秘宝』の東映まんがまつり(東映お年玉まんがまつり)二本立ての予定に『宇宙刑事シャイダー 追跡!しぎしぎ誘拐団』を加えた三本立てにし[23]、正月映画第二弾は『』を一本立て興行に[23]、洋画系(東映洋画)で流す『Wの悲劇』と『天国にいちばん近い島』の角川映画二本立てを邦画系劇場にも流した[23]

出典

  1. ^ a b c 東京ふんどし芸者”. 日本映画製作者連盟. 2022年7月10日閲覧。
  2. ^ 東京ふんどし芸者 2022年7月放送! - 東映チャンネル東京ふんどし芸者|【映画の空】映画観るならスカパー!
  3. ^ 温泉芸者シリーズ”. 日本映画製作者連盟. 2022年7月10日閲覧。
  4. ^ a b 男たちが遊ぶ現代の桃源郷 温泉芸者映画は和製シャングリラ 温泉芸者映画よ、いまいずこ 文・藤木TDC」『セクシー・ダイナマイト猛爆撃』洋泉社、1997年、232–233頁。ISBN 4-89691-258-6 
  5. ^ a b 「ナンセンスな笑い炸裂! 温泉芸者映画の世界 文・高鳥都」『鮮烈!アナーキー日本映画史 1959-1979』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2012年、89頁。ISBN 4-86248-918-4 
  6. ^ a b 「秘宝よいこの夏休み課外授業 温泉芸者って何だ!? 温泉芸者、その風俗的研究 文・藤木TDC/日本映画における温泉芸者映画の歴史 文・鈴木義昭/みみずとスッポン。東映セックスコメディの到達点 文・磯田勉」『映画秘宝』2009年10月号、洋泉社、70頁。 
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 佐伯俊道「終生娯楽派の戯言 第十五回 ふんどし芸者の大乱戦」『シナリオ』2013年8月号、日本シナリオ作家協会、54-58頁。 
  8. ^ a b c d e f g h i j k l 杉作J太郎、植地毅(編著)「野田幸男監督作品ガイド」『不良番長 浪漫アルバム』徳間書店、2017年、121頁。ISBN 9784198643546 
  9. ^ 藤木TDC『アウトロー女優の挽歌 スケバン映画とその時代』洋泉社映画秘宝〉、2018年、33-35頁。ISBN 978-4-8003-1574-8 
  10. ^ a b “堀めぐみ雲竜型の土俵入り 『東京ふんどし芸者』も千秋楽”. デイリースポーツ (神戸新聞社): p. 6. (1975年9月29日) 
  11. ^ a b c 岡田茂『波瀾万丈の映画人生 岡田茂自伝』角川書店、2004年、163–164頁。ISBN 4048838717 
  12. ^ 岡田茂(東映・相談役)×福田和也「東映ヤクザ映画の時代 『網走番外地』『緋牡丹博徒』『仁義なき戦い』の舞台裏は」『オール読物』2006年3月、文藝春秋、221頁。 
  13. ^ 「コーナー CORNER CORNER 落ちに落ちた"路線"」『アサヒ芸能』1968年5月26日号、徳間書店、88頁。 
  14. ^ a b 「岡田茂年譜」『文化通信ジャーナル』2001年6月号、文化通信社、35頁。 
  15. ^ a b c d e f g h “勢揃いふんどし芸者 東映 気を締めて……撮影開始/なになにッ! 美女10人で出世披露"赤フン"の東映です”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 13. (1975年9月18日) 
  16. ^ a b c d 「今年たんじょうした新しいライバル ポルノ女優の新しい旗手 田口久美vs.三井マリア」『週刊現代』1975年11月27日号、講談社、44頁。 
  17. ^ 100周年記念特別企画 “生きつづけるロマンポルノ” 脚本家・白鳥あかねさんが語るロマンポルノとは?”. 日活 (2012年5月18日). 2012年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月10日閲覧。
  18. ^ a b 佐伯俊道「終生娯楽派の戯言 第十四回 ゲリラ蛙は夢を見れるか?」『シナリオ』2013年7月号、日本シナリオ作家協会、46-50頁。 
  19. ^ a b c 佐伯俊道「終生娯楽派の戯言 第五十三回 当時そこにあった危機」『シナリオ』2016年12月号、日本シナリオ作家協会、44-45頁。 
  20. ^ 杉作J太郎、植地毅(編著)「吉田達インタビュー」『不良番長 浪漫アルバム』徳間書店、2017年、251頁。ISBN 9784198643546 
  21. ^ “飢餓海峡再映”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1975年8月30日) “広告”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 15. (1975年7月12日) 
  22. ^ “広告”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 13. (1975年10月13日) 
  23. ^ a b c d e f g h 「雑学映画情報 東映は『キン肉マン』 東宝は『ゴジラ』で正月映画の大激突」『映画情報』1984年11月号、国際情報社、72頁。 
  24. ^ a b c d e f 「雑学映画情報 人気者のタモリやビートたけしの主演映画は実現するのか!?」『映画情報』1984年10月号、国際情報社、71頁。 
  25. ^ a b 高橋英一・脇田巧彦・川端靖男・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル」『キネマ旬報』1984年9月下旬号、キネマ旬報社、169頁。 
  26. ^ 「日本映画ニュース・スコープ トピックス」『キネマ旬報』1984年10月下旬号、キネマ旬報社、111頁。 
  27. ^ 「雑学映画情報 なんとビートたけしがシリアス・ドラマで主演賞をねらう!?」『映画情報』1984年12月号、国際情報社、71頁。 


外部リンク