南城竜也
南城 竜也(なんじょう たつや、1948年9月20日[2][3][4][5] - )は、日本の元俳優。本名、清宮 達夫(きよみや たつお)[1][2][3][4][5][6]。南条 竜也と表記されることがあるが、これは誤植である。 東京都[3][5][7]東村山市出身[4]。日本大学法学部卒業[1][3]。アルファエージェンシーに所属していた[1]。 来歴大学在学中に俳優を志し、東映演技研修所に入所[4][5][7]。研修所の同期には、後に『快傑ライオン丸』の主演を務める潮哲也がいた[8][5][7][9]。 1970年、映画『最後の特攻隊』(東映)に本名の清宮達夫名義でデビュー[2][7]。翌年、宣弘社制作のスポ根ドラマ『ガッツジュン』(TBS)に野球部員役でレギュラー出演[3]。続いて、『刑事くん』(TBS)などに出演する。 1972年、『変身忍者 嵐』(毎日放送)で主役のハヤテ役に 以後、80年代半ば頃までテレビ・映画を中心に俳優として活躍。悪役から善人・被害者役まで様々な役柄を演じたが、1986年に俳優を引退[9]。この頃、元俳優の滝波錦司が赤坂で経営していたTeasersという店で働いていた。この店は他に元女優、声優、ミュージシャンなどが働いており、売りは替え歌を取り入れたお笑いだった。当時はバブル景気でもあったため、店は連日、満員で盛況だった。しかし、オーナーである滝波が病気で亡くなったために閉店(現在は当時の従業員が同じ場所でTOKIOというショーパブを営業をしている)となり、同時に南城の消息がわからなくなった。 長らく公の場に姿を現すことはなかったが、2005年に徳間書店刊『ハイパーホビー』、2008年にホビージャパン刊『宇宙船』のインタビューに登場し、2010年には東映チャンネル『ピンスポ!』で久々にテレビ出演を果たすなど、近年はメディアへの登場機会が増えている。 2012年には仮面ライダーXの速水亮、人造人間キカイダーの伴大介との3名でトークショーを行なったことが速水亮のブログ「速水亮アクターズ日記」にて報告されており[10]、ファンとの交流活動を行っている様子が語られている。 2015年11月に新宿ロフトプラスワンで開催の「マンガワールド 其の34 変身忍者嵐」にゲスト出演。石森プロ関係者と共に当時のエピソードを語る。 人物・エピソード大学時代は、ビル清掃など20種類のアルバイトを経験している[11]。 『ガッツジュン』では野球部員役だったが、自身は野球がヘタだったと述懐している[9]。一方で、キャストの中では一番高校生らしく見えると褒められたことをよく覚えているという[9]。 芸名の名付け親は『変身忍者 嵐』当時に自身のボスに当たる人物だった[5]。『嵐』撮影開始当初はまだ本名を名乗っていたが、あるとき東映生田スタジオのスタッフルームにたまたま行くと、ホワイトボードに「本日より清宮達夫は南城竜也になりました」という連絡事項が書かれており、それを見て初めて「俺は南城竜也になるのか」と知ったという[5]。 『嵐』では、嵐の声は第9話以降は池水通洋が時折吹き替えている回があり、第39話で月の輪(双子の兄)と合体した後は、ハヤテの声を市川治が吹き替えている。これはアフレコの際、リハーサル時から全力で掛け声やセリフを叫んでいたために喉を痛めてしまい、医者から「声帯炎」と診断され、プロデューサーと相談し、やむを得ず取った措置とのこと[4]。終盤には喉は回復していたものの、周りに迷惑をかけたという負い目や観ている子供たちが混乱してはいけないという思いから、そのまま最後まで通したという[4]。また後年、南城はビデオで見返して自身の演技を下手だと感じ、人気が出なかったのは自身の責任であったと述べている[2]。『嵐』の東映側のプロデューサーである平山亨は、『嵐』では強い声がどうしても出来なかったため結果的に声優による代役となってしまったが、『タイガーセブン』では発声もしっかりしていたため、相当努力したのではないかと述べている[12]。 『嵐』では乗馬のシーンがあるため撮影前に訓練をしたがものにはならなかった[2]。しかし、ハヤブサオー役のジュラク号が演技経験が豊富な馬であったため南城はつかまっているだけで演技が成り立っており、試写を観た関係者から「完璧に乗りこなしている」と誉められたという[2]。 二輪車の免許を持っていたため『鉄人タイガーセブン』や『Gメン'75』などでバイクに乗る役を演じた[7]。しかし、日常的には中型車にしか乗らないため、750ccが用意されていた『タイガーセブン』では乗りこなすには至らず、バイクスタントは吹替に委ねている[7]。 『タイガーセブン』のオーディションでは、健康的なイメージを売りにしていたので明るく振舞っていたが、後年ピー・プロダクション社長のうしおそうじは南城を起用した理由を「暗いイメージがある」からとしており、事実番組が進むにつれ演技がシリアスなものへとなっていた[7]。 自身の性格について、怖くても後先考えずに無茶なことをやる性分としており、激しいアクションにも積極的であった[7]。『タイガーセブン』で戦闘員を演じる機会があった際には、ケガを恐れずに高所から飛ぶなどしている[7]。 『タイガーセブン』出演当時の紹介記事では「子供を意識した演技が身についてしまい、大人の演技にも挑戦したいが、現在は青春を精一杯生きている若者役に魅力を感じる」と述べている[11]。 潮哲也とは、研修所の同期でありクラスも同じで一緒に遊びに行く仲であった[9]。南城が『嵐』の主演が決まったのと同時期に、潮は『快傑ライオン丸』の主演が決まり、両作品とも時代劇のヒーローだったこともあって、やはりお互い意識はしたと語っている[5][9][注 1]。東京近郊で時代劇を撮影できる場所は限られており、偶然現場で鉢合わせすることもあった[14][5][9]。2人とも当時は新人だったので現場で叱られることも多く、撮影終了後に潮の住んでいたアパートでビールを飲みながら愚痴を言い合っていたという[9]。また、20代後半に結核を患い10か月ほど入院していた時期があり、同じく研修所の同期である舟久保信之が声をかけ、潮と2人で見舞いに訪れてくれたのが嬉しかったと振り返っている[9]。1972年の紹介記事では、よきライバル同士と紹介されている[6]。 特技は、剣道、スキー、乗馬[1]。柔道は初段の腕前で、1972年の紹介記事では「立ち回りが激しいので、生傷が絶えません」と述べている[6]。 出演テレビドラマ
映画
脚注注釈出典
参考文献
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