村田和哉 (サッカー選手)
村田 和哉(むらた かずや、1988年10月7日 - )は、滋賀県守山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。 来歴野洲高校では乾貴士、田中雄大、荒堀謙次らと同学年。3年時には第85回全国高校サッカー選手権に出場。大阪体育大学2年時には橋本和、田所諒、松尾元太らと共に、第32回総理大臣杯で全国制覇を果たしている。 2011年にセレッソ大阪に入団[2]。2年間でリーグ戦19試合に出場したが、2013年シーズン前の契約更新にあたり、海外を含めた他クラブへの移籍を希望して契約を更新せず、2013年3月31日にC大阪の退団を発表[3]。 2013年4月10日、清水エスパルスへ加入[4]。2014年は主にスーパーサブとして流れを変える切り札として重宝された。先発起用は一度もなく挙げた得点も多くはなかったが、後半戦監督が大榎克己に交代し清水が降格圏に沈んでいた際には、決定的なプレーで幾度となくチームを救った。J1第31節川崎フロンターレ戦では、後半ロスタイムに値千金の決勝ゴールを決め、清水のJ1残留に貢献した。2016年シーズンのJ2降格後もチームに残留し主力としてプレーするが、2018年はリーグ戦7試合の出場にとどまった。 2019年、柏レイソルに完全移籍[5]。しかし、柏では出場機会に恵まれず、同年7月にアビスパ福岡に期限付き移籍[6]。 2020年シーズンはレノファ山口FCへ期限付き移籍[7]。主にスーパーサブとして13試合に出場したが、同年末限りでの期限付き移籍満了[8]と柏との契約満了による退団[9]が発表された。 2021年2月22日、現役引退を発表[10]。滋賀県初のJリーグチームを作るため、運営会社「人生最幸」を設立した[11]。チーム名はインターネット上での公募を実施し、600件以上の応募があった結果、最終的にヴィアベンテン滋賀に決定した[12]。 所属クラブ
個人成績
選抜歴
タイトルクラブ
脚注
関連項目外部リンク
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