本国寺 (大網白里市)
本国寺(ほんこくじ)は、千葉県大網白里市にある日蓮宗の寺院。山号は法流山。日什門流妙満寺輪番上総十ヶ寺の一つ。寺名は「本國寺」とも表記する(宗教法人としての名称は「本国寺」)[1]。 歴史かつて空海開山と伝える真言宗阿蘭若興善寺であった。その後土気城主酒井氏による七里法華の影響で文明3年(1471年)5月、日肝によって改宗させられて法華宗となる。元和8年(1622年)5月、当寺10世日純(のち妙満寺30世)は檀林を創設した。寺の所在地の地名・宮谷(みやざく)を取って宮谷檀林という。周辺には野呂檀林、細草檀林、小西檀林などがある日蓮門下の金城湯池であった。 明治元年(1868年)12月、旧幕領・旗本領37万石を管轄する安房上総知県事・柴山典が、境内に知県事役所(のちに宮谷県庁)を設置した。のちにこの知県事の管轄地域は、役所所在地の地名(当時は上総国山辺郡大網宿字宮谷)から宮谷県(みやざくけん)となる。柴山ら県幹部が更迭される事件(宮谷騒動)を経て、明治4年(1871年)11月に県の統合が行われるまで、行政中心地としての役割を果たした。 明治7年(1874年)境内に大網北小学校(現在の大網白里市立大網小学校の前身)が創立された。いったん檀林は休止したが、明治25年(1892年)に大学林として復興し、33年(1900年)7月まで続けられていた。 昭和16年、日蓮宗、顕本法華宗、本門宗の三派合同により日蓮宗となる。旧顕本法華宗寺院で組織する什師法縁に所属する。 日什門流の寺院でありかつては什門のみならず、陣門、石門など勝劣派の中核寺院として、多数の学僧を輩出した。堂宇10、塔頭12、学寮50近く、学徒は800名を越えたという。 日什門流の法縁は当檀林の学寮から発生している(禹師寮法縁、迂師寮法縁、清師寮法縁、乗師寮法縁、宏師寮法縁等)。 文化財
旧末寺日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
行事
交通アクセス脚注
|
Portal di Ensiklopedia Dunia