木村大作

きむら だいさく
木村 大作
木村 大作
文化功労者顕彰に際して
公表された肖像写真
本名 木村 大作
(きむら だいさく)
生年月日 (1939-07-13) 1939年7月13日(85歳)
出生地 日本の旗 日本東京府
国籍 日本の旗 日本
職業 撮影技師映画監督
ジャンル 映画
主な作品

映画


テレビ

受賞
日本アカデミー賞
最優秀監督賞
2010年劒岳 点の記
最優秀撮影賞
1987年火宅の人
1998年誘拐
2000年鉄道員
2010年劒岳 点の記
2013年北のカナリアたち
優秀脚本賞
2010年『劒岳 点の記』
優秀技術賞
1978年八甲田山
優秀撮影賞(1981年・1982年・1983年・1986年・1988年・1989年・1990年・1993年・1994年・1997年・2002年・2005年・2008年)
ブルーリボン賞
その他の賞
キネマ旬報ベスト・テン
日本映画監督賞
2010年劒岳 点の記
日本映画撮影監督協会
三浦賞

1977年八甲田山
モントリオール世界映画祭
審査員特別大賞

2018年散り椿
毎日映画コンクール
日本映画優秀賞
2010年劒岳 点の記
天草映画祭風の賞(2010年)
おおさかシネマフェスティバル
監督賞(2010年)
撮影賞(2010年)
牧野省三賞(2014年)
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木村 大作(きむら だいさく、1939年〈昭和14年〉7月13日[1] - )は、日本撮影技師[1]映画監督[1]文化功労者

来歴

生い立ち

1939年生まれ。東京府出身。1958年東京都立蔵前工業高等学校を卒業後、東宝撮影部にカメラ助手として入社し、黒澤明監督の組に配属される。1973年に『野獣狩り』でカメラマンデビュー。

撮影技師として

2020年11月4日、文化功労者顕彰式にて

自分の師匠は撮影助手として付いていた宮川一夫斉藤孝雄ではなく黒澤明だとしており、その影響を強く受けたことを自認している。黒澤からも、そのピント合わせのうまさから一目置かれており、本人から「撮影助手で名前を憶えているのは大ちゃんくらいだ」と言われた事もあるという。黒澤は『用心棒』で犬が人の手首をくわえて歩いて来るカットをビデオで見るたびに、周りの人間に必ず「これ、ピント合わせてるの、大ちゃんだよ。うまいね」と言っていたというエピソードもある(特になんでもない場面のように見えるが、ピントの合う範囲が狭い望遠レンズを使用しているにも拘らず、カメラの方に向かって歩いて来る犬をぼけることなく完璧に撮影している)。

また黒澤は、木村が一本立ちして東宝を離れてからも、自分の現場でピント合わせで手こずるような事があると「木村大作を呼んで来い。こんなのあいつなら、一発だよ」と冗談交じりに言ったともいう。『用心棒』で助手として付いていた宮川一夫からも「日本一のフォーカスマン(撮影助手)」と激賞されていることからもわかるように、ピント合わせにおいては、木村は超一流である。

特に東宝は、口径の大きなアナモフィクレンズ(シネマスコープに変換するレンズ)とスタンダードな(写真用35mmレンズと同等)口径のレンズを両手で自分の目でピン送りしていたので、熟達した技能者を必要としていた。特に対象が、キャメラに向かい(騎馬など)、キャメラがトロッコ等で対象に向かっている場合のそれをドンピシャに合わせられたのが木村だった。ただし当然ジャジャボケの時もあり、「泣きの大作」の所以でもあった。なお、黒澤作品にはすべて撮影助手としての参加である。

1973年に須川栄三監督の『野獣狩り』でカメラマンとして一本立ちするが、この作品では木村の発案でオールシーンを手持ちカメラで撮影している。また、撮影用の照明を使わず全て自然照明で撮影することを監督に提案し、撮影中、仕事を奪われた形になった照明技師(黒澤作品などにも携わったベテランの森弘充)がこっそりライトを当てた時は、木村よりもかなりの年長である森を怒鳴りつけたとも語っている。この作品の撮影中に片腕を骨折するが、もう片方の腕だけでカメラを担いで撮影を続行したり、藤岡弘がビルの屋上から隣のビルにジャンプして飛び移る非常に危険なシーンでは、戸惑う藤岡を前に木村が実際にやって見せて、「俺ができるんだからお前もできるだろう」と発破をかけたエピソードもある。

その後は、主に森谷司郎監督や岡本喜八監督とのコンビで名を高めていった。しかし森谷は若くして世を去り、岡本に対しては人柄や才能に最大限の敬意を払いながらも、そのコンテ主義のためにカメラマンの裁量が少なすぎるとして仕事を断るようになる。折しも東宝が実質的に製作撤退しつつあった時期でもあり、同社の専属を離れて深作欣二降旗康男ら他社出身監督の仕事もふくめ、幅広い活動を行うようになっていく。2009年、初監督作品『劒岳 点の記』が公開された。

木村を侮蔑に近い表現で批判した蓮實重彦のように、評価しない人もいる。

テレビ出演

2020年11月4日、文化功労者顕彰式にて文部科学副大臣横田比奈子(手前右)と

一時期、テレビ出演を積極的に行ったことがある。

平成日本のよふけ』への出演がきっかけで南原清隆との交流が始まり、『笑う犬の冒険』にてコントのキャラクターの素材とされ、本人もコントに出演することとなった。しかし、ただコントに出演するだけではなく、木村のコーナーとも言える「ラスト・シーン」では本業のキャメラマンとして35ミリキャメラを回している。

また、『新春かくし芸大会』に2000年2001年と2年連続で審査員を勤め、過激なまでの毒舌批評で嵐を巻き起こした。2002年には演者としてアダルトチーム「おじさまメルヘンワールド2002・世界はひとつ!みんな仲良く!」に出演した。

木村の毒舌ぶりは業界内では知る人ぞ知る事柄であったが、一般視聴者の不評という結果となり、以降は地上波テレビのレギュラー出演は行っていない。ただし、衛星劇場では冠のトーク番組『木村大作の春夏秋冬』を持っていて、当時の映画産業や黒澤明をはじめとする映画人の裏話などを披露している。

地上波でも映画の宣伝などのインタビューには現在も出演しており、テレビ出演が一般認知度を上げるきっかけにはなった。

情熱大陸』(毎日放送)にも取り上げられ、2008年9月21日に放送された。

2010年5月20日よりRKB毎日放送の『豆ごはん。』にコメンテーターとしてレギュラー出演した。

2018年10月26日には『芸能界麻雀最強位決定戦 THEわれめDEポン 生スペシャル』(CS放送フジテレビONE)に初出演。番組歴代最年長となる79歳での出場だったが、深夜0時~朝6時の生放送にもかかわらず堺正章萩原聖人新井浩文を相手に優勝を果たした。

人物

「撮影者」を自称している。映画には監督は一人だけという認識から、撮影監督という名前は嫌っている。

賞歴

栄典

映画キャメラマンとしての代表作

監督作品

出演作品

著書

共著

脚注

  1. ^ a b c d 野村宏平、冬門稔弐「7月13日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、189頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  2. ^ “京都国際映画祭開幕!牧野省三賞は木村大作が受賞「あと5年は頑張る」”. 映画.com. (2014年10月16日). https://eiga.com/news/20141016/19/ 2014年10月17日閲覧。 
  3. ^ a b 木村大作(映画監督)”. 狛江市 (2020年9月15日). 2023年7月12日閲覧。
  4. ^ 平成22年春の叙勲 旭日小綬章等受章者 東京都” (PDF). 内閣府. p. 1 (2010年4月29日). 2010年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月25日閲覧。
  5. ^ 令和2年度 文化功労者”. 文部科学省 (2020年11月3日). 2020年11月9日閲覧。

関連文献

外部リンク