木下 (印西市)
木下(きおろし)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-1326[2]。 近世には利根川に面した河港(河岸)として木下河岸が置かれ、江戸と利根川下流地域を結ぶ交通・物流の要衝として栄えた土地である。 地理北は茨城県利根町布川、北東は竹袋、東は木下東、南東は竹袋、南は木下南、南西は竹袋、西は大森に隣接している。 小字小字は以下の通り[4]。
歴史江戸時代は竹袋村であり、下総国印旛郡のうち、印西領、印西筋に属す。もと竹渓村、1616年(元和2年)から竹袋村となったともいう。 1663年(寛文3年)から幕府領、1698年(元禄11年)から旗本阿部氏・三枝氏の相給、1701年(元禄14年)から佐倉藩領、1723年(享保8年)から淀藩領。村高は、「元禄郷帳」547石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに535石余。 1723年(享保8年)「淀領郷村帳」によれば、小物成として夫役1貫254文余・百姓林銭永1貫730文・船役銭12貫254文・木下河岸運上永10貫文・糠藁代永250文・山銭鐚12貫374文を上納(田辺家文書)。 1772年(明和9年)指出帳写によれば、反別田33町1反余・畑屋敷9町2反余・新田14町7反余・新畑18町9反余、ほかに山畑20町3反余・百姓林34町余、米積場・諸荷物附揚附下場があり、茶船20・小船12・酒屋通船1・渡場馬渡船1など、家数191・人数708、馬70(吉岡家文書/県史料下総)。 また木下河岸では銚子方面から鮮魚が陸あげされ、江戸へ向けて輸送された。1679年(延宝7年)からは、鹿島・香取・息栖の三社参詣に、同河岸からの木下茶船が活躍した。 1873年(明治6年)千葉県に所属。神社は稲荷神社など。寺院は天台宗三宝院(印旛郡誌)。1889年(明治22年)木下村の大字となる[5][6]。 年表
世帯数と人口2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
施設交通鉄道道路文化財脚注
関連項目
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