日本基督教団金城教会
![]() 日本基督教団 金城教会(にほんきりすときょうだん きんじょうきょうかい)は、愛知県名古屋市東区に本拠を置くプロテスタント教会(長老派)。 沿革1893年(明治26年)1月1日、米国南長老教会ミッションの宣教師C.K.カミングによって日本基督相生町講義所として設立された。当初の伝道は、説教会(伝道会)、英語聖書学校、安息日学校などによって聴衆や小児を集めていた。1898年(明治31年)、浪華中会においてミッションの管轄から中会直轄講義所になり、R.E.マカルピン宣教師が最初の中会管轄委員に任命される。 1903年(明治36年)、借家年限が切れ翌年の春、飯田町に転宅する。町名に従って日本基督飯田町講義所に改称する。1906年(明治39年)、現在地の代官町に会堂敷地を購入し、第19回日本基督教会大会の「独立決議」に基づき日本基督金城伝道教会(中会では金城講義所)と改称する。1908年(明治41年)、会堂献堂式挙行し翌年、教会決議に基づき自給独立教会として教会建設式を挙行する。その間、R.E.マカルピン宣教師の多年に渡る働きと援助があった。 1911年(明治44年)、初代松本顕治牧師を招聘。1913年(大正2年)、松本顕治牧師辞任と同時に再び伝道教会となる。 1916年(大正5年)、教師樋田豊治就任。1922年(大正11年)、教会(自給)建設式が行われ、総会決議に基づき樋田豊治を牧師として招聘する。1924年(大正13年)、教会機関紙「ひまわり」を創刊。 1938年(昭和13年)、明星幼稚園が南長老教会ミッションから当教会に移管される。1941年(昭和16年)、日本基督教団が設立されたことから日本基督教団金城教会と改称。 1947年(昭和25年)、戦後初めての教会総会が戦災を免れた教会堂で開かれる。 日本基督教団初代統理、富田満師(幼名徳丸)は、1900年(明治33年)に相生町講義所(現金城教会)でR.E.マカルピン宣教師から受洗している。 集会
パイプオルガン![]() 楽器沿革2003年(平成15年)4月 - 草刈オルガンにより会堂に設置。 仕様
リード・オルガン![]() 楽器沿革2000年(平成12年)3月 - 山口典次(山口リード・オルガン工房)により修復。 日本国内では唯一のドミニオン・オルガン社のリード・オルガン。 仕様
歴代牧師・宣教師・伝道者草創期
所在地
交通アクセス
参考文献
関連団体外部リンク |
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