新磯野
新磯野(あらいその)は、神奈川県相模原市南区の町名。現行行政地名は大字新磯野、新磯野一丁目から新磯野五丁目。住居表示は、大字は未実施、一丁目〜五丁目は実施済区域[5]。 地理神奈川県相模原市南区の南西部に位置している[6]。 地価住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、新磯野一丁目53-6の地点で17万3000円/m2、新磯野二丁目38-3の地点で15万6000円/m2となっている[7]。 歴史神奈川県住宅供給公社公式サイト[8]・「郷土史としての相武台陸軍士官学校 涌田佑/著 平成18年11月1日発行」 参照。 元々この地は高座郡新磯村大字新戸と大字磯部であり、1937年(昭和12年)に陸軍士官学校の座間への移転に合わせて、麻溝村から南隣の新磯村にかけての台地上の土地の大部分が陸軍に買収され、士官学校の演習場とされた。旧陸軍士官学校相武台練兵場・演習場の払下げ地である[9]。 陸軍に演習場として土地を買収された麻溝村・新磯村の失地耕作者の対応として麻溝台東端付近一帯に、昭和11年12月認可の「芝野耕地整理組合」を設立。しかし面積は失地地積の六分の一に過ぎず、さらに昭和12年12月知事の認可を得て「芝原耕地整理組合」を設立した。昭和15年3月建立の記念碑が相模原公園体育館駐車場、交番の近くに移設。記念碑裏面には当時の関係者77名の名が刻まれている。尚、麻溝村失地耕作者の内30名は陸軍士官学校その他に就職した[10]。 →「陸軍通信学校 § 原町田との合併問題」も参照
1951年1月に大字新戸と大字磯部の各一部を合わせ新たに大字新磯野として起立した。1961年、当該地域に神奈川県住宅供給公社が相武台団地建設予定地の用地買収を開始[15][16]、1964年7月着工。相武台前駅周辺を除けば、この地が発展の兆しが見え始めたのは相武台団地竣工後の1967年以降で、1978年12月に相武台グリーンパークが竣工すると本格的に人口が急増した。 世帯数と人口2020年(令和2年)10月1日現在(国勢調査)の世帯数と人口(総務省調べ)は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年5月時点)[22]。
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[23]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
施設
その他日本郵便脚注
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