所澤神明社
所澤神明社(ところさわしんめいしゃ)は、埼玉県所沢市宮本町にある神社である。所澤総鎮守であり「武蔵国(むさしのくに)のお伊勢さま」としても知られる[1]。現在の御本殿・玉串門は明治35年(1902年)、幣殿・拝殿は昭和9年(1934年)に竣工したもので、関東有数の大規模な神明造の御社殿である[2]。 6月第1日曜日に人形供養祭が行われる。登記上の宗教法人名称は神明社(しんめいしゃ)。 祭神三柱の神様を総称して「神明さま」として祭祀。 由緒日本武尊が東国平定の折にこの付近で休憩をした際、天照大御神に祈りを捧げたという伝説にちなんで祀ったとされている。文政9年(1826年)に起こった火災の為、記録資料等が全て焼失しそれ以前の詳細は不明である。同社の別当寺であった真言宗花光院が明治2年に廃寺となった後、明治5年(1872年)に所澤町の鎮守として村社に列し、大正3年(1914年)には、神饌幣帛料供進神社に指定される[2]。 明治44年(1911年)4月に日本最初の飛行場として開設された所沢飛行場において、その初飛行のパイロットとなった徳川好敏が前日に関係者数名とともに正式参詣したことから、今日では特に飛行機と空の安全に関する祈願のために参拝客も訪れる。 摂社
末社本殿西脇の連祠
病気平癒の神々
人形殿奥の連祠
慶應3年(1867年)に所澤神明社の隣に創立された阿夫利神社とその末社の五龍神社・雷電社が、明治22年(1889年)に神明社境内に遷され、神明社の末社となった。
境内![]() 小高い南向斜面の上に建つ所澤神明社は、神明社としては比較的規模の大きな神社で東・西・南三方に鳥居と参道があり本殿の北・西側は鎮守の杜となっている。総檜造りの現拝殿は1934年(昭和9年)3月造営されたもので、屋根には先端が水平に切られた千木の間に太い鰹木が並んでいる。 境内合祀社
主な祭事節分祭立春の前日2月3日に、新年を祝い除災幸福を願う祭事。神社に鬼はいないとの考え方から、氏子崇敬者や年男年女などによって「福は内」とだけ唱えて豆が撒かれる[4]。 人形供養祭長年子供の成長を見守り身代わりとなって災厄を引き受けてくれた人形(おひなさまや五月人形)を、感謝の気持ちを込めて供養する祭事[4]。毎年6月第1日曜日に執り行われる。納められた人形は人形殿に奉斎され、月次供養祭で人形の魂は形代へ遷霊される。その後、形代が人形殿で鎮魂され、6月の人形供養祭でお焚き上げされる。近年、所沢や近隣の市町村にとどまらず、関東一円から膨大な数の人形が納められ、供養祭の規模が大きくなったため、現在は、環境への配慮から人形そのものを燃やすことはされていない。納められた人形は魂を抜いて祓い清められ、専門の業者に回収される。所沢市は特産品に人形や羽子板がある「人形の町」であり、昭和50年代から所沢人形協会が主催して人形のお焚き上げ行事が行われるようになったのが、この人形供養祭の始まりである[5]。当社の人形供養は、感謝の思いに添った祭典で、除霊や呪いの類のお祓いではない[2]。 夏越の大祓当社では6月30日に執り行われる。前半年の心身の穢れや罪を形代に移し、「水無月の 夏越の祓する人は 千歳の命 延ぶというなり」という古歌を唱え、「蘇民将来」の故事に倣って、境内にある茅の輪を3回くぐり、心身清らかになって後半年を迎える[4]。 七夕祭所沢では、昔から月遅れで七夕を祝っているため、8月7日に催される。境内は笹竹や吹き流しで飾り付けられ、七夕祈願祭だけでなく、奉納コンサートなどのアトラクションも開催される。平成29年(2017年)から神明宵の市が同時開催されるようになった[4]。 秋季例大祭最も重要とされている祭典で、9月15日に行われる[4]。多くの氏子が参詣し、神社本庁から献幣使を迎えて、古式で執り行われる。祭典後、拝殿において巫女舞、神楽殿において里神楽が奉納される。里神楽は、川越藩の神楽師として活躍していた前田筑前の社中に伝わった竹間澤神楽である。式三番で幕をあけ、夜遅くまで芸術性の高い壮麗なお神楽が奉納される。コロナ感染症対策のため、行われないこともある[6]。 祭事一覧![]()
現地情報
脚注参考資料
関連項目
外部リンク
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