『悔悛するマグダラのマリア』(かいしゅんするマグダラのマリア、伊: La Maddalena penitente, 英: The Penitent Magdalene)は、イタリアのバロック期の巨匠ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョが1594年から1595年ごろに制作した絵画である。油彩。キリスト教の聖人であるマグダラのマリアを主題とする作品で、おそらくカラヴァッジョが制作した最初の宗教画であり[1][2]、カラヴァッジョの絵画の中で重要な作品の1つと見なされている[3]。制作された当時、同時代的な写実主義と伝統的なマグダラのマリアの図像からの脱却という点で型破りなものであった[1][4]。完成した作品は批判と賞賛を招き、21世紀に入ってもカラヴァッジョの意図について憶測が飛び交っている。現在はローマのドーリア・パンフィーリ美術館に所蔵されている[5][3][6][7]。
絵画はカラヴァッジョがジュゼッペ・チェザーリとファンティン・ペトリニャーニ(Fantin Petrignani)とともに住んでいた[9]、1594年から1595年ごろに完成した[1]。絵画はほぼ間違いなく、ローマ教皇グレゴリウス13世のグアルダロバ(guardaroba)のピエトロ・ヴィトリチェ(Pietro Vittrice)の注文によって制作された[10]。カラヴァッジョは自身の作品のモデルとして複数の娼婦を用いたことが知られており、美術史家はアンナ・ビアンキーニ(英語版)が本作品で描かれているのではないかと推測している[11][12][13]。ビアンキーニは他にもカラヴァッジョの『聖母の死』(La Morte della Vergine)、マルタ役で『マグダラのマリアの回心』(La conversione della Maddalena)、聖母マリア役で『エジプトへの逃避途上の休息』(Riposo durante la fuga in Egitto)のモデルをした可能性があることを指摘している[11][14]。
この絵画は、マグダラのマリアを同時代的な服装で描写したこと、伝記作家ジョン・ヴァリアーノ(John Varriano, 2006年)の言葉によると同主題が一般的に扱われる「哀愁と気だるい官能性」を回避したことの2点において、カラヴァッジョの時代に描かれた悔悛したマグダラのマリアの標準的な絵画から逸脱している[1]。中世の伝説によると、マグダラのマリアはキリストの昇天後に砂漠で悔い改め、彼女が過ごした30年の間に衣服は散り散りになって失われたとされ、実際に美術における同主題の描写のほとんどで、マグダラのマリアは、1533年のティツィアーノの絵画のように、まったく衣服を着ていない姿で描かれた。カラヴァッジョが最初の鑑賞者に衝撃を与えたのは写実主義への出発であった[4]。ニューヨーク・タイムズに掲載されたヒラリー・スパーリング(英語版)の2001年の書評によると「同時代の人々は、彼のマグダラのマリアが夜に一人で髪を乾かしている、隣の家の女の子に似ていると不満を言いました」[4]。絵画が完成した数十年後、17世紀の美術伝記作家ジョヴァンニ・ピエトロ・ベッローリは、カラヴァッジョは油の入った水差しや捨てられた宝石など、マグダラのマリアに関連する品々を現代的な風俗画のシーンに追加することによって、宗教的な図像であるかのように見せかけたと見解を述べた[2]。しかしイエズス会の詩人ジュゼッペ・シロス(英語版)は、明らかにこの作品を偽りの精神性であるとは見なしていなかった。むしろ、1673年に出版した『ピナコテーカあるいはローマの絵画と彫刻』(Pinacotheca sive Romana pictura et sculptura)の中でこの作品とカラヴァッジョを念入りに賞賛した。
Mancini, Giulio. (ca. 1617-1621) Considerazioni sulla pittura. Quoted and translated in Hibbard, Howard (5 March 1985). Caravaggio. Westview Press. pp. 346 et seq. ISBN978-0-06-430128-2