徳島サティ
徳島サティ(とくしまサティ)は、かつて徳島県徳島市万代町4丁目2-1に存在したショッピングセンターである。マイカル(現:イオンリテール)が「生活百貨店」として全国展開していた「サティ」の店舗のひとつであった。 歴史株式会社ニチイ(のちの株式会社マイカル)により開業した「ニチイ徳島ショッピングデパート」(ニチイ徳島店)が、1995年(平成8年)にサティへ業態転換し「徳島サティ」となった[5]。 徳島市を中心とする徳島都市圏においては、1970年代前半までは県外資本の大型商業施設の進出は少なく、1971年(昭和46年)のダイエーによる「徳島ショッパーズプラザ」、翌1972年の「南海ショッピングプラザ」の2店のみが、いずれも徳島市中心市街地へ出店していた[5]。その後、1970年代後半から1980年代にかけては県外資本の大型店の出店計画が相次ぎ、ジャスコ(現:イオン、徳島リバーシティ)、そごう(そごう徳島店)、そしてニチイの3社が、徳島市中心部とその周辺へ出店を計画していた[5]。 1981年に当店が「ニチイ徳島ショッピングデパート」として開業し、これはニチイによる徳島県内への初出店となった。続いて1986年には徳島市に隣接する小松島市に「ニチイ小松島ショッピングデパート」(1996年より「小松島サティ」)[5]、翌1987年にはつぼみや百貨店跡地に「徳島ビブレ」が開業している[5]。 →「小松島サティ」も参照
そして1995年には「ニチイ徳島ショッピングデパート」からサティへ業態転換し「徳島サティ」として改称オープンした[5]。 2001年のマイカルの経営破綻後、2008年4月6日をもって徳島サティも閉店[3]。旧サティの店舗の中にはイオンなどへ業態転換した店舗も多数あるが、徳島サティはマイカルの経営再建の過程で閉店が決定されたため、イオンの店舗ブランドへ店名変更することなく「徳島サティ」のまま閉店した[3]。 閉店後の跡地は、医療法人倚山会田岡病院が同2008年12月に用地を取得する契約を締結し、翌2009年6月23日付で売買が成立した[6]。徳島サティの建物は解体されて現存しないが、付近の駐車場には真っ白に塗り替えられたサティ時代からの立て看板がひとつだけ残されている。 沿革
テナント2008年の閉店時のテナント一覧。
競合店脚注
関連項目
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