平野直樹
平野 直樹(ひらの なおき、1965年11月2日 - )は、三重県出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはフォワード。 来歴四日市中央工業高校では越後和男、江川重光と同期[4]。3年時の1983年に高校総体に出場、決勝の水戸商業高校戦では決勝点をあげて初優勝に貢献した[4]。冬の高校選手権ではベスト4進出[4]。大会優秀選手に選出され、日本高校選抜の海外遠征に参加した[4]。 1984年3月には越後と共に日本ユース代表に選出され、バングラデシュで開催されたAFCユース選手権東地区予選に出場した[3]。 順天堂大学を卒業後、1988年に日本サッカーリーグの松下電器産業に加入[5]。1989-90シーズンのJSL1部第17節、日立製作所戦でデビューし初アシストを記録[6]。1990-91シーズンから定期的に出場機会を得るようになりリーグ戦17試合に出場[2]、1991年の天皇杯優勝に貢献した[2]。翌1991-92シーズンには出場機会は減少しリーグ戦6試合の出場に終わるも、第21節のマツダ戦で初得点を記録[7]。JSL1部通算28試合に出場し1得点1アシストを記録した[7]。1992年、プロ化によりガンバ大阪へ移行後もチームに在籍したが、同年限りで現役を引退した[8]。 引退後は指導者に転じ、1993年にG大阪ユースのコーチ、1994年に同ジュニアユースの監督を務めた[8]。その後、ベガルタ仙台のトップチームのコーチやユース監督[1][8]、星稜高校などを指導[1]。2003年、履正社高校サッカー部の創部と同時に監督に就任した[1]。 2018年1月、日本高校サッカー選抜の監督に就任[9]。同年春にドイツで行われたデュッセルドルフ国際ユースサッカー大会においてチームを優勝に導いた[10]。 個人成績
その他の公式戦
脚注
関連項目外部リンク
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