平戸(ひらと[5])は、日本海軍の防護巡洋艦。筑摩型の3番艦である。
艦歴
1910年、川崎造船所(神戸)で起工、1912年6月17日に竣工し、二等巡洋艦に類別。日本海軍の巡洋艦として初めてタービン機関を採用し、同型艦三隻にはそれぞれ異なるタイプの機関を搭載している。
第一次世界大戦では、南洋諸島占領作戦に参加、さらに南シナ海、南太平洋方面の作戦に従事した。1925年から1937年までおもに中国水域の警備活動に従事。
1932年の第一次上海事変に際しては熱河作戦の支援を行った。
1940年4月1日に除籍され廃艦第11号と仮称、海軍兵学校に繋留し練習船として使用した。
1943年12月には兵学校岩国分校に回航し終戦を迎えた。
1945年に浸水着底し、1947年1月5日から4月20日にかけて東京サルベージにより解体され、船体は岩国港の防波堤となった。
艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。
- 山中柴吉 大佐:1912年3月9日 - 12月1日
- 兼海軍艦政本部艤装員(1912年3月9日 - 6月17日)
- 兼呉海軍工廠艤装員(1912年6月17日 - 7月31日)
- 野村房次郎 大佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日
- 幸田銈太郎 大佐:1913年12月1日 -
- 金丸清緝 大佐:1914年12月1日 - 1915年12月13日
- 生野太郎八 大佐:1915年12月13日 - 1916年12月1日
- (心得)小林躋造 中佐:1916年12月1日 - 1917年4月1日
- 小林躋造 大佐:1917年4月1日 - 1917年12月1日
- 菅沼周次郎 大佐:1917年12月1日 - 1918年12月1日
- 小山武 大佐:1918年12月1日 - 1919年5月26日
- 寺岡平吾 大佐:1919年5月26日 - 1919年6月10日[6]
- 志賀巳之治 大佐:1919年6月10日[6] - 1919年12月1日[7]
- 永野修身 大佐:1919年12月1日[7] - 1920年12月1日
- 松坂茂 大佐:1920年12月1日[8] - 1922年3月15日[9]
- (兼)高倉正治 大佐:1922年3月15日[9] - 1922年5月15日[10]
- 松本匠 大佐:1922年5月15日 - 1923年4月1日
- 金子養三 大佐:1923年4月1日 - 1923年7月20日
- 鹿江三郎 大佐:1923年7月20日 - 1924年3月25日
- 吉田善吾 大佐:1924年3月25日 - 1924年12月1日
- 福島貫三 大佐:1924年12月1日[11] - 1925年2月2日[12]
- 石田正一 中佐:1925年2月2日[12] - 1925年4月15日[13]
- 北川清 中佐:1925年4月15日 - 1925年10月15日
- (兼)今川真金 大佐:1925年10月15日[14] - 1925年11月20日[15]
- (兼)山口延一 大佐:1925年11月20日 - 1925年12月1日
- 柴山司馬 大佐:1925年12月1日 - 1926年6月1日
- 片山登 大佐:1926年6月1日 - 1927年9月28日
- 瀬崎仁平 大佐:1927年9月28日 - 1928年4月1日
- 羽仁潔 大佐:1928年4月1日[16] - 1928年12月10日[17]
- 下村敬三郎 大佐:1928年12月10日[17] - 1929年11月20日[18]
- 渋谷荘司 大佐:1929年11月20日[18] - 1930年11月20日[19]
- 丹下薫二 大佐:1930年11月20日 - 1932年5月10日
- 藤森清一朗 大佐:1932年5月10日 - 1933年4月1日
- 大島乾四郎 大佐:1933年4月1日 - 1933年8月25日
- 平岡粂一 中佐:1933年8月25日 - 1934年6月1日
- (兼)大橋五郎 中佐:1934年6月1日[20] - 1934年10月13日[21]
同型艦
脚注
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.229-231
- ^ #M45-T1公文備考27/軍艦筑摩、矢矧、平戸製造の件(3)画像45
- ^ a b c #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1057-1087、昭和3年2月14日(内令43)艦船要目公表範囲。
- ^ #10月 画像1『達第百九號 軍艦河内外四隻ニ左ノ通信號符字ヲ點付ス 明治四十四年十月三日 海軍大臣 男爵齋藤實 信號符字 艦名 GQHM 河内 GQHN 攝津 GQHP 筑摩 GQHR 矢矧 GQHS 平戸』
- ^ 浅井将秀『日本海軍 艦船名考』東京水交社、1928年、186頁。
- ^ a b 『官報』第2055号、大正8年6月11日。
- ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
- ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2884号、大正11年3月16日。
- ^ 『官報』第2934号、大正11年5月16日。
- ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ a b 『官報』第3733号、大正14年2月3日。
- ^ 『官報』第3792号、大正14年4月16日。
- ^ 『官報』第3945号、大正14年10月16日。
- ^ 『官報』第3974号、大正14年11月21日。
- ^ 『官報』第376号、昭和3年4月2日。
- ^ a b 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
- ^ a b 『官報』第870号、昭和4年11月21日。
- ^ 『官報』第1170号、昭和5年11月21日。
- ^ 『官報』第2224号、昭和9年6月2日。
- ^ 『官報』第2338号、昭和9年10月15日。
参考文献
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集・巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。
- 千藤三千造他『造艦技術の全貌』興洋社、昭和27年。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第5巻 重巡Ⅰ』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0455-5
- 『官報』
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『10月』。Ref.C12070062800。
- 『明治45年~大正元年 公文備考 艦船1 巻27/軍艦筑摩、矢矧、平戸製造の件(3)』。Ref.C08020038500。
関連項目