岩手県立花泉高等学校(いわてけんりつ はないずみこうとうがっこう、 英: Iwate Prefectural Hanaizumi High School)は、岩手県一関市花泉町にある公立高等学校。略称は花高(はなこう)。
概要
岩手県立一関第一高等学校の分校として、1948年に岩手県立一関第一高等学校流分校を開校したのが発端である。翌年には一関一高から独立し、校名を岩手県立花泉高等学校に改名したことにより、分校としての位置付けと校名は1年間に終わった[1]。
1953年に定時制課程を廃止してからは全日制課程のみとなり、1972年に商業科、1989年には情報処理科を開設したが、1999年と2006年にそれぞれ廃止しており以後は普通科のみとなっている。普通科に至っても2015年に1学級分を削減しており、以降は普通科1学級だけの小規模校に分類される[1]。また、一関市内の公立高校では唯一の単学級校である[2]。
第一校舎の東西にはそれぞれ体育館が隣接しており、第一体育館は1961年に、第二体育館は1995年に落成した。グラウンド側にそびえ立つ3階建て(棟屋部分は5階建て)の第一校舎は1951年に落成したのち、1997年に大規模改修工事を施している[1]。
1997年に創立50周年を迎えた際に中村晋也(日本芸術院会員)が制作したブロンズ像「ミゼレーレ」と、「人は魂の存在を知るとき 最高の智に生きる」と刻印されたプレートが校舎内に設置された[3]。
主に一関市内からの入学者が大多数を占めているが、宮城県との県境隣接地域に立地している関係で、両県の教育委員会が定めた「県境隣接地域県立高等学校入学志願取扱協定」に基づき、栗原市栗駒町・金成町・若柳町、登米市石越町・中田町・東和町の居住者は入学志願が可能である[4]。
- 校訓
「知行合一」(ちこうごういつ)
創立40周年を記念し制定された。王陽明の学説で、「知識と行為とは本来同一であり、知って行わないのは真に知ったのではない。知と行は表裏一体をなしていなければならない」という意味である。校地内に銘文を刻んだ記念碑が設置されている[3]。
- 校歌
作詞は佐藤虎雄、作曲は海鉾義美が携わっており、監修は土井晩翠による。歌詞は3部で構成される[5]。
- 校章
「泉」の文字と桜の花と枝の絵を組み合わせて「花泉」を表し、その上に「高」の文字を置いている。桜の枝の片側7枚の葉は旧流れ7カ村(花泉・涌津・永井・油島・老松・日形・金沢)を象徴としている[5]。
沿革
設置学科
廃止学科
課程
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学科
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設置年
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廃止年
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備考
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全日制課程
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商業科
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1972年
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2006年
|
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情報処理科
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1990年
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1999年
|
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定時制課程
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普通科
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1948年
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1953年
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全日制課程へ移行
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学校活動
主な学校活動(行事)のみ掲載。
- 4月 - 始業式、入学式、新入生オリエンテーション
- 5月 - 岩手県高等学校総合体育大会
- 6月 - 前期中間考査、クラスマッチ
- 7月 - 終業式
- 夏季休業 - 夏季課外、職場体験学習
- 8月 - 始業式
- 9月 - 前期末考査
- 10月 - 企業見学会(1年生)
- 11月 - 文化祭、後期中間考査
- 12月 - 修学旅行(2年生)、終業式
- 冬期休業 - 冬季課外
- 1月 - 始業式
- 2月 - 学年末考査
- 3月 - 卒業式、一般入学者選抜検査、終業式、離任式
- 年度末休業
出典:[7]
部活動
運動部
- バドミントン部
- 硬式野球部(男子)
- バスケットボール部(男子)
- 弓道部(女子)
文化部
出典:[8]
付属施設
主な施設のみ掲載。
- 第一体育館 - 第一校舎の西側で接続
- 第二体育館 - 第一校舎の東側で接続
- 柔剣道場
- セミナーハウス[3]
- 第一グラウンド
- 第二グラウンド
- 屋外プール
生徒・学級数
2000年度以降は毎年度、生徒数と学級数を掲載。
開校以降の定員数・生徒数・学級数の推移
年度
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定員
|
生徒数
|
増減
|
学級数
|
増減
|
出典
|
備考
|
1948(昭和23)年度
|
30[1]
|
不明
|
不明
|
[9]
|
開校
|
1949(昭和24)年度
|
100[1]
|
本校から独立
|
1972(昭和47)年度
|
225[1]
|
商業科設置(2学級)
|
1980(昭和55)年度
|
680
|
|
|
1981(昭和56)年度
|
625
|
-55
|
|
1982(昭和57)年度
|
584
|
-41
|
|
1983(昭和58)年度
|
575
|
-9
|
|
1984(昭和59)年度
|
553
|
-22
|
|
1985(昭和60)年度
|
534
|
-19
|
|
1986(昭和61)年度
|
491
|
-43
|
|
1987(昭和62)年度
|
471
|
-20
|
|
1988(昭和63)年度
|
475
|
4
|
|
1989(平成元)年度
|
482
|
7
|
普通科+1、商業科-1、情報処理科設置
|
1990(平成2)年度
|
不明
|
448
|
-34
|
|
1991(平成3)年度
|
459
|
11
|
|
1992(平成4)年度
|
462
|
3
|
|
1993(平成5)年度
|
452
|
-10
|
|
1994(平成6)年度
|
160
|
439
|
-13
|
1学級40人化
|
1995(平成7)年度
|
420
|
-19
|
|
1996(平成8)年度
|
403
|
-17
|
|
1997(平成9)年度
|
120[1]
|
366
|
-37
|
情報処理科募集停止
|
1998(平成10)年度
|
336
|
-30
|
|
1999(平成11)年度
|
331
|
-5
|
|
2000(平成12)年度
|
320
|
-11
|
9
|
|
[10]
|
|
2001(平成13)年度
|
300
|
-20
|
9
|
0
|
[11]
|
|
2002(平成14)年度
|
309
|
9
|
9
|
0
|
[12]
|
|
2003(平成15)年度
|
311
|
2
|
9
|
0
|
[13]
|
|
2004(平成16)年度
|
80[1]
|
286
|
-25
|
8
|
-1
|
[14]
|
商業科募集停止
|
2005(平成17)年度
|
248
|
-38
|
7
|
-1
|
[15]
|
|
2006(平成18)年度
|
223
|
-25
|
6
|
-1
|
[16]
|
|
2007(平成19)年度
|
215
|
-8
|
6
|
0
|
[17]
|
創立60周年
|
2008(平成20)年度
|
213
|
-2
|
6
|
0
|
[18]
|
|
2009(平成21)年度
|
209
|
-4
|
6
|
0
|
[19]
|
|
2010(平成22)年度
|
191
|
-18
|
6
|
0
|
[20]
|
|
2011(平成23)年度
|
169
|
-22
|
6
|
0
|
[21]
|
|
2012(平成24)年度
|
143
|
-26
|
6
|
0
|
[22]
|
|
2013(平成25)年度
|
137
|
-6
|
6
|
0
|
[23]
|
|
2014(平成26)年度
|
120
|
-17
|
6
|
0
|
[24]
|
|
2015(平成27)年度
|
40[1]
|
108
|
-12
|
5
|
-1
|
[25]
|
普通科-1
|
2016(平成28)年度
|
105
|
-3
|
4
|
-1
|
[26]
|
|
2017(平成29)年度
|
109
|
4
|
3
|
-1
|
[27]
|
創立70周年
|
2018(平成30)年度
|
112
|
3
|
3
|
0
|
[28]
|
|
2019(令和元)年度
|
106
|
-6
|
3
|
0
|
[29]
|
|
2020(令和2)年度
|
109
|
3
|
3
|
0
|
[30]
|
|
2021(令和3)年度
|
106
|
-3
|
3
|
0
|
[31]
|
|
2022(令和4)年度
|
103
|
-3
|
3
|
0
|
[32]
|
|
2023(令和5)年度
|
93
|
-10
|
3
|
0
|
[33]
|
|
アクセス
花泉市街地西側の高台に位置している。
鉄道
自動車
周辺
- 花泉運動公園
- 花泉ヘリポート
- 上油田城(竹ノ下城)跡
出身者
脚注
出典
関連項目
外部リンク
公式サイト