岩元市三
岩元 市三(いわもと いちぞう、1947年10月30日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師、元騎手。 騎手としてバンブーアトラスで東京優駿(日本ダービー)、ラフオンテースで阪神3歳ステークスなどに優勝し、調教師として顕彰馬・テイエムオペラオーを管理した。2000年度JRA賞最多賞金獲得調教師。 来歴騎手時代1947年、鹿児島県にて4人兄妹の長男として出生。小学6年生時に父を亡くした岩元は、母子家庭の長男という自覚から中学卒業後、集団就職により大阪・天六の花屋で働く。社会人ながら当時150cmにも満たない小柄な体躯であり、このハンデを活かせる仕事はないかと模索していた岩元は友人に誘われ園田競馬場へと赴いた際、「あの(騎手の)仕事は自分に向いているんじゃないか」と騎手稼業を意識し始め、後に競馬新聞社に騎手になる方法を尋ねるといった行動も起こしている。 やがて18歳となった岩元は同じ鹿児島出身の騎手が所属する布施正厩舎を訪ね弟子入りを志願。一度は「定職に就いているし、馬に乗ったこともない。やめときなさい」と断られたものの、騎手への思いを捨てきれない岩元は、布施の元を再度訪問し弟子入りを認められる。短期講習生の下乗り騎手として布施に師事することとなった岩元は入門して7年後の1974年に騎手デビュー、この時既に27歳という苦労人であった。その2年後には布施の次女との結婚を許され、岩元は布施の義理の息子となっている。 デビュー初年度より順調に勝ち鞍を積み重ねた岩元は1977年の中日新聞杯をキングラナークで制し重賞初勝利。以来、ラフオンテースとのコンビで重賞5勝を挙げるなど、騎手として生涯所属した布施厩舎の馬を中心に中央競馬の重賞競走で29勝を記録。八大競走は1982年の東京優駿(日本ダービー)をバンブーアトラスで制している。 1989年2月調教師免許の取得に伴い現役を引退、騎手成績は通算4917戦578勝。ファンや関係者・マスコミからは、しつこくライバル馬相手に喰らいつく手綱さばきから「マムシ」と渾名され、人柄からか「市っちゃん(いっちゃん)」「いっつあん」と親しみを持って呼ばれ、インタビューや取材時の独特の語り口は「市っちゃん節」と呼ばれ人気があった。 調教師時代同年11月、調教師・夏村辰男の死去に伴う厩舎の解散により、施設を引き継ぐ形で岩元市三厩舎を開業。初出走は同年12月2日、阪神競馬第8競走のアールカップで9着、初勝利は翌1990年1月15日、京都競馬第2競走のミヤジペガサスで挙げた(延べ14頭目)。同年の小倉3歳ステークスをテイエムリズムで制して重賞初勝利を挙げた。 1996年より2010年まで和田竜二が所属騎手となっていた。1999年の皐月賞を和田騎乗のテイエムオペラオーで制し、岩元の調教師としてのJRAGI初勝利と共に和田のGI初勝利を飾っている。2000年には同馬がGI競走を次々と制して8戦無敗という成績でシーズンを終え、この年最多獲得賞金調教師のタイトルを獲得した。 冠名「テイエム」を使用する垂水町(現・垂水市)出身の馬主・竹園正繼は幼馴染で、岩元がバンブーアトラスで勝った東京優駿(日本ダービー)の勝利騎手インタビューを偶然見たことがきっかけで馬主になったという逸話がある。それゆえ、中央競馬に所属している競走馬は、多くの所有馬を岩元厩舎に預託している。 2018年2月28日付けで定年の為、調教師を引退することになった[1]。 騎手成績
主な騎乗馬※括弧内は岩元騎乗時の優勝重賞競走、太字はGI級競走。
調教師成績
主な管理馬※太字はGI級競走。
受賞歴
厩舎スタッフ
脚注・参考文献
|
Portal di Ensiklopedia Dunia