小見川道大
小見川 道大(おみがわ みちひろ、1975年12月19日 - )は、日本の元男性総合格闘家、柔道家。茨城県出身。土浦日本大学高等学校、国際武道大学卒業。NEO JUDO ACADEMEY 小見川道場主宰[1]。 来歴小学校1年から柔道を始める。土浦日大高校では、同じ柔道部所属の桜井"マッハ"速人、レスリング部の宮田和幸と同級生であった。国際武道大学時代には野村忠宏、中村行成に勝利したこともある[2]。同じ吉田道場所属だった中村和裕は大学の後輩にあたる。大学卒業後は、綜合警備保障で柔道を続けた。1998年2月、ハンガリー国際66kg級優勝、2002年1月、日本国際66kg級優勝、8月柔道ワールドカップ国別団体選手権大会で決勝戦では巴投で一本勝ちし金メダルを獲得。2003年、7月トレトリ国際66kg級優勝。2003年9月15日、全日本柔道連盟主催世界柔道大阪大会男子団体戦に出場。極まるのが珍しい関節技腕挫腕固をガードポジションから極めるなど活躍。銀メダルを獲得。柔道時代も寝技を得意としていて、2001年にはアマチュア総合格闘技大会JTCに出場し、ベスト8。 2005年5月1日、吉田道場所属になったことを発表。同時にリングネームを小見川 道大とした[2]。 2005年5月22日、プロデビューとなったPRIDE 武士道 -其の七-でアーロン・ライリーと対戦し、1Rに右ハイキックでKO負け。 2005年12月3日、Cage Rage 14でJ.Z.カルバンこと、ジェシアス・カバウカンチと対戦し、1Rに右フックでKO負け。 UFC2007年9月22日、UFC初出場となったUFC 76でマット・ワイマンと対戦し、0-3の判定負け[3]。 2008年1月23日、UFC Fight Night: Swick vs. Burkmanでチアゴ・タバレスと対戦し、0-3の判定負け[4]。 2008年8月16日、日本復帰戦となったGLADIATORでジョン・チャンソンと対戦し、0-3の判定負けを喫した[5]。 2009年1月18日、これまでの70kg級から65kg級へ階級を下げ、初出場となった修斗で石渡伸太郎と対戦し、3R終了時の判定0-0でドロー。 戦極2009年3月20日、戦極初出場となった戦極 〜第七陣〜のフェザー級グランプリ1回戦でL.C.デイビスに判定勝ちを収めた[6][7][8]。 2009年5月2日、戦極 〜第八陣〜のフェザー級グランプリ2回戦でナム・ファンと対戦し、1RにパウンドでTKO勝ちを収めた。 2009年8月2日、戦極 〜第九陣〜のフェザー級グランプリ準決勝でマルロン・サンドロと対戦し、3R判定勝ち。決勝では金原正徳と対戦して1-2の僅差の判定負けとなり、準優勝となった。 2009年11月7日、戦極 〜第十一陣〜のフェザー級チャンピオンシップ挑戦者決定戦で幻の決勝戦の相手であった日沖発と対戦し、ベストバウト賞を受賞する熱戦を繰り広げ2-1の判定勝ち[9]。 DREAM2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のDREAM vs SRC 対抗戦で高谷裕之と対戦し、右ストレートでダウンを奪ったところにパウンドで追撃しTKO勝ちを収めた。 2010年4月25日、吉田秀彦引退興行 〜ASTRA〜でミカ・ミラーと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。 2010年6月、自身の子供が生まれた。 2010年7月10日、DREAM初出場となったDREAM.15でジョン・ヨンサムと対戦し、フロントチョークで自身初の一本勝ちを収めた。 2010年9月25日、DREAM.16でコール・エスコベドと対戦し、アームバーによる一本勝ち[10]。 UFC復帰2011年2月5日、UFC 126でチャド・メンデスと対戦し、0-3の判定負けを喫した[11]。 2011年6月11日、UFC 131でダレン・エルキンスと対戦し、0-3の判定負け[12]。小見川の勝利ではないかという物議を醸す試合内容であったため、小見川にも勝利者ボーナスが支払われた[13]。 2011年11月5日、UFC 138でジェイソン・ヤングと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[14]。 2012年1月14日、UFC 142でユーリ・アルカンタラと対戦し、0-3の判定負け[15]。 2012年8月4日、UFC on FOX 4でマニー・ガンブリャンと対戦し、0-3の判定負けを喫した。 UFC後2012年12月31日、DREAM.18 & GLORY 4で川尻達也と対戦し、3R判定負け。 2015年3月7日、神奈川県横浜市青葉台に小見川道場を開設した[1][16]。 2016年2月7日、WSOF GC 2: Japan 1でテディ・バイオレットと対戦し、2-1で3R判定勝ちを収めた。 2016年10月21日、巌流島 全アジア武術選手権大会 2016 in TOKYOに出場。トーナメントの1回戦、準決勝を勝ち上がり決勝に駒を進め、決勝戦では菊野克紀と対戦し、レフリーストップで負けを喫した。 2022年2月26日、引退試合としてDEEP 106 IMPACTで中村大介と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負けを喫した[17]。 戦績総合格闘技
シュートボクシング
異種格闘技
グラップリング
獲得タイトル幼少期
高校時代
大学・社会人時代
表彰
脚注
関連項目外部リンク
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