宮阪政樹
宮阪 政樹(みやさか まさき、1989年7月15日 - )は、東京都練馬区出身の元プロサッカー選手。登録ポジションはミッドフィールダー(主にボランチ[3][6])。 来歴プロ入り前小学校3年時からサッカーを始め[7][3][8]、中学校、高校の時はFC東京の下部組織に所属。展開力のあるボランチとして見出され[7]、1期上の中野遼太郎を目標に[8]真摯にサッカーに取り組む姿勢で着実に力を重ねた[2]。また、当時トップチームでプレーしていた宮沢正史を真似たことで[9]鋭いフリーキックを身に付けた。同期は丸山祐市、大竹洋平、椋原健太、廣永遼太郎、田端信成、岡田翔平、田中奏一、井澤惇、加藤淳也など。 2008年に明治大学文学部に進学し、2009年2年時の天皇杯ではボランチとして出場。3回戦で後にプロ生活を始めるモンテディオ山形を3-0で破っている。本人は当時からプロを目指しており、大きな経験だったと語る。4年時にはサッカー部主将を務めた[2]。部の同期は丸山、高木駿、田中恵太など。2011年夏季ユニバーシアードに参加する日本代表でも主将を務め[10][2][11]、優勝に貢献。 プロ入り後2012年、中盤での献身的プレーを評価され[12]モンテディオ山形へ加入[13]。リーグ戦第1節から先発出場の機会を得、第4節甲府戦では直接FKによる初得点を記録した[3][14]。第11節の東京V戦でクラブ史上最速でのA契約規定時間出場を達成[15][16]。その後も持ち前の展開力と豊富な運動量でチームを支えた[17]。J's GOALやエル・ゴラッソからはこの年のJ2新人王に選出されている[18][19]。2013年はボランチのレギュラーから外されたが、天皇杯浦和戦でサイドハーフに配されると攻守に積極的なプレーを見せ[6]、リーグ戦終盤はこのポジションでの先発出場を続けた。 2014年は若手のリーダーとして副将を務め[20]、ボランチの定位置を再奪取。高精度のプレースキックと[21]強烈なミドルシュートで相手ゴールを脅かし[22]、第34節讃岐戦では60メートルの長距離FKを突き刺した[23]。同年はリーグ戦全試合に先発出場し[4]、チーム最多・最長出場を記録。パス数ではリーグ2位[24][25]、ボール奪取ではチーム最多を数え、攻守において絶対的存在であった[26]。この年限りで山形との3年契約が満了を迎えるも[27]、必要不可欠な戦力として[4]慰留され[27]契約を延長。2015年は好調を維持するも、J1での戦いに向けてより守備を重視する起用法が採られ[28]出場機会は激減した。夏場にかけて一時先発に復帰。果敢なプレスで攻撃へと繋げるプレーを見せ、2nd第1節横浜FM戦でJ1初得点を記録した[29]。 2016年、2年越しのオファーに応え[30]、松本山雅FCへ完全移籍[31][32]。シーズン半ばにMFパウリーニョが加入して以降は出場機会を減らしたが[33]、チーム屈指のキックの技巧から専門誌ではJ1昇格争い最終盤でのキーマンに挙げられ[34]、J1昇格プレーオフ準決勝・岡山戦では同点ゴール[注 1]をアシスト[35]。しかし試合終了間際の失点でJ1昇格を逃した。 2018年、大分トリニータに期限付き移籍[36]。3月25日のJ2第6節・讃岐戦ではスコア0-0で迎えた前半32分に、ハーフウェイラインやや手前の位置のFKから、前目に位置取っていた相手GKの頭上を越えるロングシュートでゴールを決めた[37]。この時のシュートの飛距離は4年前に同じく讃岐戦で、ほぼ同様の状況で自身が記録したゴールから0.5m短い58.4mとなっている[37]。シーズン前半戦は先発出場を続けていたが、後半戦からは前田凌佑の台頭に押される形で出場機会が減少した。 2019年、移籍期間満了により松本に復帰[38]。同シーズン終了後、契約満了により松本を退団した[39]。 2020年、ザスパクサツ群馬に加入[40]。2020年12月11日、契約満了による退団が発表された[41]。 2023年末で長野との契約が満了となって退団[43]。 2023年12月29日、現役引退を発表[44]。引退後はFC東京の強化部スカウトに転身した[45]。 所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
代表歴
タイトル
個人脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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