実験工房実験工房(じっけんこうぼう)は、詩人の瀧口修造の下にさまざまな分野の若手芸術家約14人が集まって結成された総合芸術グループ。命名は瀧口による[1]。活動期間は1951年から1957年まで[1]。ただし、正式な解散はしていない。第二次世界大戦後の前衛芸術運動にて先駆的な功績を残した[1]。 瀧口を顧問格として、それぞれの友人知人関係が連携して出来上がったグループだが、結果としては皆が反アカデミックで前衛的な気質を持っていた。 活動様々な芸術ジャンルで活動するメンバーによる集団であり、その活動もジャンルを越境したものであった[1]。 最初期の活動として、作曲・装置・衣装を担当した創作バレエ「生きる悦び」の上演が挙げられる。音楽分野では作曲家の武満徹や湯浅譲二らの最初期の作品発表の場としても活動し、またアルノルト・シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」、オリヴィエ・メシアンの「前奏曲集」、「世の終わりのための四重奏曲」、「アーメンの幻影」などの日本初演も手がけた。特にメシアン作品の研究は実験工房の音楽関係メンバーに大きな影響を与えた。 フランス文学に関する関心も深く、瀧口修造がシュルレアリスムの日本における第一人者でありアンドレ・ブルトンと交流があったことをはじめ、秋山邦晴もフランス文学に造詣が深かったため、これらのフランス文学および芸術の研究は特に熱心だった。 1953年にはソニーの前身である東京通信工業から開発されたばかりのテープレコーダーおよびそれとスライドを連動させる教育用装置オートスライドを借りてきて、スライド写真の映像を伴うミュージックコンクレート作品を発表した。1956年にはテープ音楽(ミュージックコンクレート、電子音楽およびオートスライドも含む)のオーディションを主催した。 メンバー
最も広く使われている集合写真の並び順による。この集合写真には園田高弘の右に夫人で作曲家の園田(西沢)春子も写っているが、実験工房のメンバーでは無かった。なお製作技術担当の山崎英夫(旧工専で北代省三と同級)も加えることがある[2]。 発表会・作品展等の記録日本近代音楽館『戦後作曲家グループ・活動の軌跡 1945-1960』より抜粋[3] ピカソ展 東京展を記念して1951年11月16日 日比谷公会堂
現代作品演奏会 実験工房第2回発表会1952年1月20日 女子学院講堂
実験工房第3回発表会1952年2月1日~10日 タケミヤ画廊 第4回読売アンデパンダン展1952年2月28日~3月18日 上野美術館 Experimental Workshop. 4th Exhibition1952年8月9日 女子学院講堂
実験映画「モビールとヴィトリーヌ」1953年9月 アメリカ文化センター Experimental Workshop. 5th Exhibition1953年9月30日 第一生命ホール
Arnold Schönberg. Experimental Workshop1954年10月9日 山葉ホール バレエ実験劇場1955年3月29日~31日 俳優座 室内楽作品演奏会 実験工房1955年7月12日 山葉ホール
実験工房作品展 絵画・彫刻・写真1955年11月28日~12月3日 村松画廊 円形劇場形式による創作劇の夕1955年12月5日 産経国際会議場
ミュージック・コンクレート電子音楽オーディション1956年2月4日 山葉ホール
実験工房メンバーによる新しい視覚と空間を楽しむ夏のエキシビション1956年8月1日~8月31日 新宿風月堂 ミュージック今クレート演奏 実験工房ピアノ作品演奏会第3回ブリヂストン美術館「作曲家の個展」シリーズ 1957年6月22日 ブリヂストン美術館
実験工房メンバーによるサマー・エクスヒビション1957年8月1日~31日 新宿風月堂 関連項目
脚注出典外部リンク
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