宍戸元秀
宍戸 元秀(ししど もとひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏の家臣。父は宍戸隆家。母は毛利元就の娘・五龍局。 子に宍戸元続、内藤元盛(佐野道可)、粟屋孝春、宍戸元真、宍戸景好、宍戸元可、三沢為虎室、古満姫(毛利輝元養女、小早川秀秋・興正寺准尊正室)がいる。官位は従五位下・左衛門尉、雅楽頭。別名は宍戸元孝。通称は弥三郎。 生涯天文16年(1547年)、宍戸隆家の嫡男として生まれる[2]。 天正20年(1592年)2月5日に父・隆家が死去するが、元秀は病弱等を理由に既に廃嫡されていたため、元秀の子・元続が家督を継ぎ、宍戸家の当主となった[2]。天正年間末の毛利家の分限帳によると、元秀には隠居領として周防国の玖珂郡に190石9斗7升5合、吉敷郡に500石5斗5升3合、熊毛郡に178石6斗2升7合の合計870石1斗5升5合が与えられている[3]。 慶長2年(1597年)6月11日に安芸国井原村[注釈 1]において死去[2]。享年51。 系譜
脚注注釈出典参考文献
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