粟屋孝春
粟屋 孝春(あわや たかはる)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。毛利氏家臣で長州藩士。父は宍戸元秀で、粟屋孝重の婿養子として家督を継ぐ。母は内藤興盛の娘。 生涯永禄12年(1569年)[1]、または、天正元年(1573年)[2]、宍戸元秀の三男として生まれる[1]。 毛利氏家臣・粟屋孝重(彦兵衛尉)が嫡男のいないまま病となり、家が断絶しそうになったため、旧縁があった孝春が粟屋孝重の娘と婚姻し、婿養子として家督を継いだ[1]。 慶長15年(1610年)5月4日、名古屋城築城の手伝普請のための出張中に死去[1]。享年38、または、42。婿養子の粟屋元豊が後を継いだ[3]。 系譜
脚注注釈出典
参考文献
|