安城東映
安城東映(あんじょうとうえい)は、愛知県安城市にあった劇場・映画館。1911年に安城座(あんじょうざ)として開館し[1]、1959年に安城東映に改称。1984年に閉館した[2]。 データ歴史安城座明治時代末期の1911年(明治44年)に芝居小屋『安城座』として設立・開業される[1]。大正時代末期の1924年(大正13年)には碧海郡安城町(現・安城市)の中心部に帝国館、昭和改元後の1928年(昭和3年)には弥生館も開館し、安城町には3館の演芸場や映画館が集まった。終戦間もない1946年(昭和21年)7月5日には、安城文化協会主催による歌劇『椿姫』が安城座で上演されている[1]。 1948年(昭和23年)に安城町警察が設置されると、約半年後の9月20日には安城座で「安城の自治体警察はどうあるべきか」というテーマの希望討論会が開催された[3]。公安委員長の神谷芳根、安城町警察長の宮崎金義、弁護士の平野安兵衛を招き、約600人が参加する反響があった[3]。1946年(昭和21年)に安城町でも開始された農地改革は1948年(昭和23年)に農地の買収・売渡しの大半が完了し、1948年12月には安城座で地主感謝開会が開催された[4]。小作人側が必要経費を供出し、安城座の特別興行に地主側を招待したのである[4]。1949年(昭和24年)には産業や経済の発展を願う催しとして、安城町役場によって第1回安城発展祭が開催されている。1951年(昭和26年)に開催された第3回安城発展祭の際には、安城座で太平洋戦争の遺家族・未復員未引揚者家族慰労会が行われている[5]。 1950年(昭和25年)には映画と演劇の双方の興行を行っており、映画の観覧者は23,091人、芝居の観劇者は6,245人だった[6]。安城座で開催された碧海農業祭(開催時期不明)ではみどり会が碧海おどりを踊っている[7]。1953年(昭和28年)の安城市には安城座と弥生館の2館の映画館があった[注 1]。木造2階建の安城座は852席を持ち、洋画・邦画を問わず上映した[8]。 安城東映1959年(昭和34年)には安城座から安城東映に改称され、東映系の映画館となった。映画最盛期である1960年(昭和35年)の安城市には安城東映、弥生館、南映会館の3館の映画館があった[注 2]が、1962年(昭和37年)には安城日活劇場(後の安城東宝劇場)が開館し、4館となる。だが1968年(昭和43年)に南映会館が閉館し、安城市の映画館は再び3館体制となった。後に弥生館は日活・松竹系となっている。 1970年(昭和45年)の安城東映は東映・大映系だった。1981年(昭和56年)には安城東宝が、1982年(昭和57年)には弥生館が相次いで閉館。最後まで残った安城東映も1984年(昭和59年)に閉館となり、安城座から数えて73年間の歴史にピリオドを打った[2]。これによって安城市から映画館がなくなったが、1995年(平成7年)12月23日に10スクリーンを持つシネマコンプレックスの安城シネマ(現・安城コロナシネマワールド)が開館した。安城東映劇場の跡地は長年駐車場として利用されていたが、土地区画整理事業による市有地有効活用事業で2016年(平成28年)にマンション「グランドメゾン安城」が竣工し、現在(2023年)に至る[10]。 かつて安城市にあった映画館
脚注注釈
出典
参考文献
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