学校法人梅村学園
学校法人梅村学園(がっこうほうじんうめむらがくえん)は、日本の学校法人。愛知県名古屋市に本部を置き、中京大学および中京大学附属中京高等学校を設置する。 設置学校現在の設置学校
過去の設置学校
校訓・建学の精神
沿革1923年(大正12年)の中京商業学校開設をもって学園の創立とし[注釈 2]、梅村清光を学祖と位置付ける[3]。 梅村家はもともと水戸藩士の家系で、祐筆として250石を給され、代々書に秀でていた[4]。水戸藩の徳川光圀に招かれた梅村清茂が、享保元年(1716年)に私塾「清信館」を開いたことに、教育機関として淵源をもとめる言説もある[4]。 梅村清光は水戸中学校[5]を経て茨城師範学校卒業[4]。当時の清光は短距離走で茨城県下一であったというスポーツマンでもあった[5]。各地の小中学校で教員・校長を歴任[4]。新聞社勤務を経て[4]、1923年(大正12年)に中京商業学校を開校した[4]。国家の前途のため私学で商業方面の人材の育成するという理念に加え、当時の愛知県に甲種(5年制)私立商業学校がなかったことが、商業学校設立の背景としてある[5]。 清光は知育・体育・徳育を意味する「真剣味」を校訓とし[4]、学術とともにスポーツによる教育を高く掲げた。中京商業学校は、1931年(昭和6年)からの甲子園(全国中等学校優勝野球大会)3連覇など、第二次世界大戦の戦前期よりスポーツ面で名を残している[4]。 急逝した父の跡を継いだ2代校主梅村清明は、第二次世界大戦に出征しシベリア抑留も経験(その間、元陸上オリンピック選手のすみ子夫人が学園長代理を務めた)。1949年に清明は日本に帰国して学園復興に努め、1956年(昭和31年)に中京大学を設立した。中京大学は中京商業学校以来の伝統を受け継ぐものとして商学科の単科大学としてはじまったが、1959年(昭和34年)に2番目の学部として体育学部を設けており、この方針は建学の精神に基づくものとされる[5]。1961年(昭和36年)は三重県松阪市に三重高等学校を設立、その後松阪地区に松阪大学(のち三重中京大学。2013年(平成25年)廃止)を設置している。 梅村家出身者がおおむね理事長を継承しており、2021年(令和3年)時点の理事長である梅村清英は清光の曾孫にあたる。三重高等学校などの運営に当たる学校法人三重高等学校も梅村家出身者が理事長を務めており、包括連携協定を締結し、校訓と建学の精神を共有する[6]。なお、清光の次男(梅村清明の弟)である安達寿雄[注釈 3]は、1962年(昭和37年)に岐阜県に学校法人安達学園を設立[注釈 4]、中京高等学校(一時期「中京商業高等学校」「中京学院大学附属中京高等学校」を校名とした)や中京学院大学を設立しており[9]、同じ校訓や建学の精神を掲げている[7][10][8] 年表
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク |
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