姚仁喜
姚 仁喜(ヤオ・レンシー、英語: Cris Yao/クリス・ヤオ、1951年12月6日[2] - )は、台湾台北市出身の建築家。アメリカ建築家協会名誉研究員 (Honorary Fellowship of the American Institute of Architects) [3]。台湾での数多くの公共建築を手がけたことで知られ、2019年日本初進出となった台湾の大手書店・雑貨チェーン「誠品生活」(東京・日本橋)の店内設計も務めた。 人物私立東海大学建築系(建築学科)学士(1975年卒)[3]、カリフォルニア大学バークレー校環境デザインカレッジ建築修士(1978年卒業)[4]。 1985年に自身の建築師事務所「姚仁喜〡大元建築工場(KRIS YAO ARTECH、アルテック・アーキテクツ・アンド・アソシエイト)」を台北と上海に設立[4]。作品の大部分は東アジアに所在する。オフィスビルおよび駅舎、学校、博物館などの公共建築を多数手がけている。代表作は蘭陽博物館、中鋼集団総部大楼、故宮博物院南部院区など[5][6]。 ヴェネチア・ビエンナーレなどでインスタレーション作品やコクーンハウスの出展も行っている[7][8][9]。 設計思想姚は1つの物件でも業者のストーリー、所有者のストーリーや思想があると考えており、建築に「カメラのレンズ(を通した視点)」と「(街の)ストーリー性」を反映している[10]。 長年の友人であるTVプロデューサーの王偉忠は上海で姚の建築展に参観し「姚は建築を一つの舞台と考えている」との印象を受けたと述べている[11]。かつてはニューヨークフィルムアカデミーで短期間だが映画を学んでいた[12]。 建築家ではない兄弟も建築設計を学んでいたが、幼少時の両親が自由発想を許容していたからだと述べている。重病を患い週に1度しか登校できなかったときも、担任教師は姚に叱責や懲罰をしなかったといい、束縛なく育ったことが人生に影響を与えたと述べている。自宅療養中は辞典から漫画まで幅広く読書に耽った[10]。高校時は美術に興味をもち、画廊に通っていたが、進学先の東海大学には美術学科がなく建築学科を選択した。当時は厳格な校風の国立台湾師範大学にしか美術学科がなく、自分には合わないと諦めている[10]。 姚は自身が頻繁な海外渡航で使っている台湾桃園国際空港が好きではなかった。駅や空港の建築は流動性を優先し、刹那的な感覚に囚われるためとしている。高鉄彰化駅の設計を受けた際は、駅では一般的な柱のない開放感とは逆に柱を多用したデザインを取り入れた。当地の名産である花卉を意識し、駅舎を温室に、内部の柱を花やサトイモに見立てた[10]。 後年烏鎮戯劇節を「東洋のアヴィニョン演劇祭」とすべく戯劇節発起人も務めた台湾の演出家頼声川は烏鎮の劇場こけら落とし公演のために友人だった姚に設計をオファーした[13]。姚は頼の代表作品「如夢之夢」と烏鎮の18、19世紀の情景を思い浮かべながらデザインしたという[10]。 台北の聯合報大楼は建て替えで姚の設計による聯合・大於へと生まれ変わったが、姚は初めて社を訪問した際に地下室の印刷工場が印象に残ったため、活版印刷の活字棚に着想を得てビル外観のデザインに応用した[10]。 家庭3兄弟のうち次男で、長兄の姚仁禄(エリック・ヤオ)はデザイナー[14]。三男の姚仁恭は照明デザイナーで[15]、原住民の少年サッカーチーム「C33 Football League(三三足球聯盟)」創設者[16]。妻は作家の姚任祥。 受賞
受賞物件
主な作品以下の年次は対象建築物竣工年を指す。 台湾
台湾国外
書籍
脚注
外部リンク
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